信長が三つの砦で包囲網を敷いた
鳴海城なるみじょう
場所 愛知県名古屋市緑区鳴海町城22付近
旧国郡名 尾張国 愛知郡
別名 根小屋城
種別 平山城
築城時期 1400年頃(応永年間)
築城背景 室町幕臣、安原宗範が築城
名城  
主な城主 安原宗範、山口教継、山口教吉、岡部元信佐久間信盛
天守 なし
主な遺構  
主な再建物  
交通 名鉄名古屋本線 鳴海駅 徒歩約5分
駐車場 近くになし
徒歩・登山 鳴海駅〜登る5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
× 登5分

鳴海城
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構成 尾張国愛知郡の南端、黒末川(現、扇川)の河口そばの小丘に築かれた平山城。

城域は東西75間半(136m)、南北34間(61m)の規模であったと記録されており、周囲を堀が囲み、本丸、二の丸、三の丸から構成され、それらの曲輪も堀で囲まれていたとされるが詳細は不明。
縄張図
または
現地
案内図
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現状 鳴海城址公園となっており、遺構は見当たらない。

当時は城域の南西側は海(鳴海潟)であったが、干拓により町が広がっている。
略歴
1400年頃 安原宗範が築城
(中略)
1530年頃 尾張国下四郡守護代、織田大和守家に仕える織田信秀が、主家を凌ぐほどに勢力を拡大
桜中村城主、山口教継織田信秀の支配下に
1551年 織田信秀死没。嫡男の織田信長が織田家当主に
山口教継、敵対してきた駿河国今川家へ寝返り、桜中村城に籠城
子の山口教吉が鳴海城主に
1555年頃 山口教継、山口教吉父子、織田信長への内通を今川義元から疑われ切腹
今川氏家臣、岡部元信が城主に
1559年頃 織田信長、鳴海城の周囲に丹下砦、禅照寺砦、中嶋砦を築き包囲
1560年 今川義元、天下に号令するために2万2千の大軍を率いて上洛戦を開始
桶狭間の戦で、織田信長今川義元を討ち取る
岡部元信、義元の首と引き換えに鳴海城を信長に開城
その後、佐久間信盛が城主に
1580年 佐久間信盛、信長から追放される
1590年頃 廃城