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3重堀に囲まれた武蔵七党、難波田家の居館 | |
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難波田なんばたじょう |
場所 | 埼玉県富士見市下南畑568-1 |
旧国郡名 | 武蔵国 入間郡 |
別名 | |
種別 | 平城 |
築城時期 | 1225年頃? |
築城背景 | 承久の乱で幕府方として参戦し討ち死にした父、金子高範への恩給として難波田の地を拝領した小太郎が築城し、難波田氏を名乗った(推定) |
名城 | 私の500名城 |
主な城主 | 難波田家、難波田九郎三郎、難波田善銀(憲重)、太田資正、上田左近 |
天守 | なし |
主な遺構 | なし |
主な再建物 | 復元堀、復元土塁、復元門、復元木橋 |
交通 | 東武東上線 みずほ台駅 徒歩約40分 |
駐車場 | 専用無料駐車場 |
徒歩・登山 | 駐車場〜徒歩1分〜本丸 |
<個人評価> | ||||
総合 | 遺構 | 再建整備 | 知名度 | アクセス |
○ | ○ | ◎ | ○ | 歩1分 |
![]() 復元堀 |
![]() 復元門 |
![]() 復元堀と復元土塁 |
![]() 復元木橋 |
![]() 古民家ゾーン |
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構成 | 武蔵国の中央、荒川と新河岸川の間の自然堤防上の築かれた平城で、3重の堀を巡らせていた。 中央の本城を中心に内堀を隔てて細い帯郭を巡らせ、南に馬出を置き、さらにその外側に中堀、外堀で防備した。 中堀や外堀の外側には、北に二の曲輪や馬場、東に天神曲輪、南に大手、西に蔵屋敷(曲輪)などが同心円状に配された。 大手の南にも馬出が置かれ、その南側一帯は家臣の屋敷が建てられていた。 |
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縄張図 または 現地 案内図 |
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現状 | 難波田城公園となっており、門、木橋、土塁、水堀が綺麗に復元されている。 遺構らしきものはほとんどなく全て復元ではあるが、城跡公園としては満足度が高い。 古民家ゾーンでは、3軒の古民家を見学できるほか、城や富士宮市の歴史を学ぶことができる資料館もある。 |
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略歴 |
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