小早川隆景が玄界灘際に築いた
名島城なじまじょう
場所 福岡県福岡市東区名島1-15
旧国郡名 筑前国 那珂郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1560年頃(天文年間)
築城背景 立花鑑載が立花山城の支城として築城。
九州攻め後、筑前国筑後国肥後国の一部、合計37万1千石の大名となった小早川隆景が大改修し居城とした。
名城  
主な城主 小早川隆景小早川秀秋
天守 あり(不詳)(非現存)
主な遺構 天守台、堀切、移築門
主な再建物  
交通 西鉄貝塚線 名島駅 徒歩約13分
駐車場 麓の有料駐車場
徒歩・登山 有料駐車場〜登1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登1分

名島城の主郭

帆柱石(天然記念物)

天守台

本丸
構成 玄界灘に突き出た小さな半島に築かれた海城(平山城)。

主郭は東西300m、南北100mの規模で、海側から本丸、二の丸、三の丸を南東に向かって並べた。

二の丸と本丸の間は堀で隔てられ、本丸の天守台には天守があげられたが詳細は不明。

本丸の西には南丸と呼ばれた大きな曲輪も配された。

主郭の南には侍屋敷が広がっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 主郭部は名島神社や名島城址公園となっており、天守台、堀切や土塁の一部が残っている。

目の前の海には帆柱石が残っており、3世紀頃、神功皇后が三韓出兵の際使用した船の帆柱が化石となったと伝わる。
略歴
1560年頃 大友義鎮(宗麟)の家臣で立花山城主となった立花鑑載が、支城として築城
1565年 立花鑑載、大友家から離反し毛利家につく
立花鑑載、大友家の吉弘鑑理に攻められ逃亡
その後許され、大友家に帰参
1568年 宝満城主、高橋鑑種が大友家から離反すると、立花鑑載も追従
1569年 戸次鑑連(立花道雪)臼杵鑑速吉弘鑑理ら大友勢3万に立花山城を攻められ落城、立花鑑載は自害(立花城の戦
(中略)
1587年 豊臣秀吉が九州を平定(九州攻め
筑前国筑後国肥後国の一部、合計37万1千石の大名となった小早川隆景が大改修し居城に
1595年 小早川隆景、養子の小早川秀秋に家督を譲る
1600年 関ヶ原の戦で、小早川秀秋が西軍から東軍に寝返り勝利に貢献
  小早川秀秋備前国など52万石へ加増の上、転封
  黒田長政筑前国に52万3千石を拝領
1601年 黒田長政、名島城を廃城として、資材を新しい居城、福岡城へ移動