北条家滅亡のきっかけ、名胡桃事件の舞台
名胡桃城なぐるみじょう
場所 群馬県利根郡みなかみ町下津3375付近
旧国郡名 上野国 利根郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1579年(天正7年)
築城背景 当地にあった名胡桃家の館跡に、上野国への侵出拠点として真田昌幸が築城。
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 真田昌幸、鈴木主水(城代)、猪俣邦憲(城代)
天守 なし
主な遺構 空堀、土橋
主な再建物  
交通 JR上越線 後閑駅 徒歩約40分
駐車場 専用無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

笹郭から見る本郭と細い土橋

本丸の先にある笹郭

二の丸と三の丸の間の空堀

笹郭から沼田方面を望む
構成 上野国の北部、利根川を見下ろす崖を利用して築かれた平山城。
東側は断崖で、北側と南側も小さな谷川が作った深い断崖となっている。

縄張りは東から西に、笹郭、本郭、二の郭、三の郭、丸馬出を連続して並べた連郭式で、南側にはさらに水の手郭、外郭も配された。
北側には、般若郭と呼ばれる名胡桃家時代の館跡があった。

各曲輪は2mの土塁と空堀によって隔てられていたという。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡として整備されており、空堀や土橋が残っているが、2mの土塁は残されていない。
般若郭は見学者用の駐車場となっている。

城内を国道17号線のバイパスが貫いており、水の手郭、外郭は道路を挟んだ向こう側である。
略歴
1579年 真田昌幸が築城し、沼田城攻めの拠点に。
1580年 真田昌幸、家臣、矢沢綱頼に沼田城を攻略させる。
その後、真田昌幸の家臣、鈴木重則が城代に。
1581年 沼田景義が沼田城の奪還のため攻め寄せる。
真田昌幸の家臣、金子泰清が謀略により沼田景義を殺害。
真田昌幸岩櫃城を居城に。
1582年 天目山の戦で武田家滅亡。
本能寺の変後に起こった、天正壬午の乱の際の北条氏直徳川家康との和睦条件として、上野国は北条家の切り取り次第と決定。
1583年 真田昌幸上田城を築城し居城に。
沼田城に、昌幸の長男で真田信幸(信之)が入城。
1585年 真田昌幸が沼田の割譲を拒み、上杉家と結んで徳川に敵対し、第一次上田城の戦に発展。
1589年 豊臣秀吉の裁定により、沼田城を含む沼田の3分の2は北条家、名胡桃城を含む残りの3分の1は真田家に分割される。
その後、北条家の家臣で沼田城代の猪俣邦憲に攻め取られ、これを恥とした城代、鈴木重則は自害。(名胡桃事件)
これに激怒した豊臣秀吉が、北条攻め(小田原城攻め)を決意。
1590年 小田原城攻めにより、北条家は滅亡。
真田信幸(信之)が分家となり、沼田2万7千石を領し、沼田城を居城としたことから、存在価値を失い廃城に。