秀吉最後の夢への渡海基地
名護屋城なごやじょう
場所 佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931付近
旧国郡名 肥前国 松浦郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1591年(天正19年)
築城背景 豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として築城
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 豊臣秀吉
天守 5重7階天守(非現存)
主な遺構 石垣、空堀、土塁、井戸
主な再建物  
交通 JR筑肥線など唐津駅〜約19km
駐車場 名護屋城跡の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登5分

大手口

本丸すぐ下の遊撃丸と玄界灘

広大な本丸

二の丸から見た天守台
構成 肥前国の北端、玄界灘に突き出た波戸岬の根元の、標高90mほどの勝男山にあった垣添城を利用して築かれた、17万uに及ぶ広大な平山城。
縄張りは軍師黒田官兵衛(異説あり)が、奉行は加藤清正寺沢広高が務めた。

最高部の本丸は東西130m、南北125mの広大なもので、北西隅の天守台には5重7階の天守がそびえた。

本丸の西の壇下に二の丸を、東の壇下に三の丸を配した。

二の丸の北側には、朝鮮から来た講和使節の宿舎も置かれた遊撃丸を置き、搦め手に当たる二の丸の南の曲輪は、秀吉の側近で相婿の浅野長政の居館が建てられ弾正曲輪と呼ばれた。

本丸の南下、二の丸と三の丸を繋ぐような長細い曲輪が馬場で、三の丸の東、大手口そばには東出丸も配された。

本丸の北側には水手曲輪が配され、秀吉の御殿や茶室、庭園などが置かれた山里丸は水手曲輪から東へ続く壇下に広げられた。

水手曲輪や山里丸の北側に台所丸が置かれ、曲輪の中の井戸は太閤井戸と呼ばれた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 名護屋城跡として保存・整備されている。

駐車場から軽い登りとなるが5分程度で本丸に着く。

石垣や空堀、土塁などの遺構があるが、石垣は崩壊している箇所も多く、一部復元作業も進められている。

大手口そばには県立の名護屋城博物館があり、秀吉関連の展示や朝鮮との交流史などが展示されている。
略歴
1591年 豊臣秀吉が築城し、朝鮮攻め(唐入り)の拠点に
豊臣秀吉、関白を甥の豊臣秀次に譲り太閤に
1592年 文禄の役
1596年 豊臣秀吉大坂城にて明の講和使節を接見
1597年 慶長の役
1598年 豊臣秀吉死没。これにより朝鮮から撤兵
(後略)