長篠の戦の舞台となった奥三河の城
長篠城ながしのじょう
場所 愛知県新城市長篠市場22
旧国郡名 三河国 設楽郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1508年(永正5年)
築城背景 駿河国守護今川家の家臣となった菅沼元成が、それまでの岩古屋城に代わる居城とすべく築城
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 菅沼元成、菅沼正貞、奥平信昌
天守 なし
主な遺構 空堀、土塁
主な再建物  
交通 JR飯田線 長篠城駅 徒歩約7分
駐車場 長篠城址史蹟保存館の無料駐車場
徒歩・登山 韮山駅〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

長篠城本丸

本丸の土塁

長篠城址史蹟保存館
 
設楽が原の戦場の馬防柵
構成 東海道から奥三河へ向かう別所街道沿い、豊川と宇連川の合流地点の断崖上に築かれた山城。

本丸は川の合流地点に近い場所に置かれ、本丸を取り囲むように二の丸、帯曲輪、弾曲輪、さらにその外側に弾曲輪、瓢曲輪、大手曲輪などが扇形に配されていた。
本丸よりもさらに二川の合流地点寄りにあったのは、野牛曲輪。

城内には豊川のさらに支流である矢沢川が流れ、天然の堀となっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸跡や帯曲輪跡が残り、低い土塁が囲んでいる。

帯曲輪の横には長篠城址史蹟保存館が建てられている。

本丸から見下ろす豊川の向う岸に、磔にされた鳥居強右衛門の碑がある。
略歴
1508年 今川家家臣、菅沼元成が築城。長篠菅沼氏を名乗る
1569年 徳川家康が、今川家を駿河国に追う。(掛川城の戦
これにより、徳川家の属城に
1571年 武田信玄の侵攻にあい、長篠菅沼家は武田家に寝返る
1573年 武田信玄上洛戦を開始
三方ヶ原の戦で、徳川家康武田信玄に敗北し浜松城に逃げ戻る
武田信玄の死により武田軍が甲斐国へ撤退
城主、菅沼正貞が徳川家康に攻められ降伏
家康の家臣になっていた作手城主の奥平貞昌(信昌)が居城を移し城主に
1575年 武田勝頼が2万5千の大軍で攻め寄せる(長篠の戦)が、織田信長の援軍を得た徳川勢の勝利に終わる
1576年 奥平信昌が新城城を築いて移ったため、廃城に