崖の上の天空の城
苗木城なえきじょう
場所 岐阜県中津川市苗木2897(付近)
旧国郡名 美濃国 恵那郡
別名 赤壁城、霞ヶ城
種別 山城
築城時期 1532年(?)(天文元年)
築城背景 東美濃の豪族、遠山家の岩村城の支城として築城された。
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 遠山直廉、遠山友勝、森長可、河尻秀長、遠山友政、遠山秀友
天守 三層天守
主な遺構 石垣、土塁
主な再建物 天守床面
交通 JR中央本線 中津川駅 徒歩60分以上
駐車場 三の丸そばの無料駐車場など
徒歩・登山 駐車場〜登る15分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登15分

苗木城と木曽川と朝焼け

三の丸、大矢倉跡の石垣と巨石

山頂部にある
本丸天守台の石垣と巨石

本丸天守台に再建された
天守3階部分の木組の床面

本丸下の的場を兼ねた腰曲輪
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構成 美濃国東部、眼下を木曽川が流れる、標高433mの高森山頂に築かれた山城。
山頂部分の本丸には、2個の巨石を利用して石垣を積んだ天守台を置き、3重の天守が築かれた。

本丸の下には的場を兼ねた帯曲輪、二の丸、大矢倉を建てた三の丸などを階段状に配した。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡はしっかりと整備されており、山麓の遠山資料館から軽いハイキング感覚で城内を廻ることができる。

主要部分には豊富に石垣が利用されているばかりでなく、天然の巨石も巧みに利用されている。

天守台には、天守3階部分の床面が木組で再現されている。
そこから見下ろす木曽川や東美濃の山々の遠景は絶景で、「天空の城」と呼べる名城である。

苗木城にも、全国各地の城郭に伝わる馬洗い伝説が残っており、敵に水の手を切られた際、水はまだ豊富にあるように見せかけるために、その上に馬を乗せて白米で洗ったと言われる巨石「馬洗い岩」もある。
略歴
1532年頃 岩村城主、遠山景前の弟、遠山勘太郎(直廉)が築城。(苗木遠山家)
1567年 織田信長美濃国を攻略
1572年 遠山勘太郎(直廉)が死没
嫡男がなかったために、織田信長の命により、一族の遠山友勝が城主に
その後、遠山友勝が、飛騨国での威徳寺の戦の際の傷が元で死没
子の遠山友忠が城主に
武田信玄上洛戦では、主城の岩村城秋山信友に攻め落とされ武田家の支配下となるが、苗木城は持ちこたえる
1582年 武田方の木曾義昌が信長に寝返る際、城主、遠山友忠が取次ぎ役を果たす
天目山の戦で武田家が滅亡
本能寺の変
1583年 城主、遠山友忠、羽柴(豊臣)秀吉と対立した徳川家康に味方するが、秀吉方の森長可との抗争に敗北し、城を奪われる
河尻秀長が城代に
1584年 森長可が、小牧・長久手の戦で戦死
弟の森忠政が家督を相続
1599年 森忠政の転封にともない、河尻秀長がそのまま城主に。(1万石)
1600年 関ヶ原の戦で、西軍についた河尻秀長が戦死
東軍についた遠山友政が旧領を回復。(1万5百石)
1620年 城主、遠山友政が死没
家督を相続した、子の遠山秀友が城主に
(後略)