争奪戦が繰り広げられた武蔵の要衝
武蔵松山城むさしまつやまじょう
場所 埼玉県比企郡吉見町北吉見
旧国郡名 武蔵国 横見郡
別名 松山城
種別 平山城
築城時期 1399年(応永6年)
築城背景 扇谷上杉家の被官、上田友直が、古河公方や山内上杉家への抑えの城として築城。
名城 私の500名城
主な城主 上田家、上杉朝定、北条家、上田朝直、上杉家、上田憲定、松平家広、松平忠頼
天守 なし
主な遺構 空堀、土塁
主な再建物  
交通 東武東上線 東松山駅 徒歩約25分
駐車場 吉見百穴前の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登5分

本丸跡

本丸からの眺望

土塁と空堀

空堀

すぐそばの名所、吉見百穴
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構成 荒川の支流、滑川と市野川の合流地点のやや南側の小山に築かれた平山城。

城域の中央やや南西寄りに本丸を置き、東に向かって二の丸、春日丸、三の丸をそれぞれ空堀を隔てて配した梯郭式の縄張り。
本丸の北側にも、不規則に小曲輪を配し防備していた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡は小高い山なので、楽に登って行ける。空堀の保存状態も良い。
近くに、名勝、吉見百穴(古墳時代の横穴墓群)がある。
略歴
1399年 扇谷上杉家の被官、上田友直が築城
(中略)
1537年 上杉方の拠点で松山城の南にある河越城北条氏綱に落とされ、そのまま北条家の来攻を受けるが守りきる
その後、河越城を落とされた扇谷上杉家当主の上杉朝定が居城とする
1546年 河越夜戦上杉朝定が死没。(扇谷上杉家滅亡)
これにより、北条氏康の持ち城に
太田資正、上田朝直が城を奪還。上田朝直が城主に
城主の上田朝直が北条家に寝返る
1561年 小田原城攻めに向かった長尾景虎(上杉謙信)が攻略
太田資正を城代に
1563年 北条氏康武田信玄(晴信)の連合軍が攻略、三たび北条氏康の持ち城に
1564年 第二次国府台合戦
1569年 三増峠の戦後、上田朝直が再び城主に
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めの際、城主、上田憲定は小田原城に籠城、松山城には2千300の兵が立てこもったが、前田利家上杉景勝らに攻められ落城
戦後は関東へ移封となった徳川家康の家臣、松平家広が城主に。(1万石)
1600年 関ヶ原の戦
松平家広の甥、松平忠頼が城主に。(2万石)
1601年 松平忠頼が浜松に転封となり廃城