政宗長男、兵五郎秀宗生誕の地
村田城むらたじょう
場所 宮城県柴田郡村田町村田北塩内41(登城口)
旧国郡名 陸奥国陸前 柴田郡
別名 村田館、村田要害
種別 平山城
築城時期 1441年頃?(嘉吉元年頃)
築城背景 下野国小山から入って村田氏を称した小山業朝が、居城とすべく築城(推定)
名城 私の500名城
主な城主 村田業朝、村田近重、村田宗殖、後藤三郎右衛門(城代)、伊達宗高、柴多家
天守 なし
主な遺構 空堀、堀切、土塁、移築大手門(願勝寺)
主な再建物  
交通 JR東北本線 大河原駅 約9.7km
駐車場 道の駅むらたの駐車場
徒歩・登山 道の駅〜登る3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

本丸

本丸東側の堀切

本丸の土塁

本丸北側の横堀 
構成 陸前の南端、南北に細長い村田盆地を南に見下ろす、標高54mの丘陵に築かれた平山城。

城域は東西300m、南北210mほどで、最高所に東西180m、南北80mの本丸を置いて土塁と空堀を巡らせ、東南の段下に大きな堀切を隔てて二の丸を配した。

大手は東南麓に開かれた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城山公園となっており、西麓にある道の駅むらたから遊歩道が完備されている。

本丸には土塁、空堀などの遺構が残り、櫓門風のトイレが建てられている。

二の丸は乾八幡神社となっており、堀切が残る。

大手門は近くの願勝寺に移築されている。
略歴
1441年頃 村田氏を称した小山業朝が築城(推定)
  その後村田家は伊達家に臣従
  (中略)
1542年 天文の乱が起こると、城主、村田近重は伊達晴宗に味方
1565年 子のいなかった村田近重の養子となっていた村田宗殖(万好斎)(伊達稙宗の子)が城主に(3万石)
1584年 主家、伊達家の家督相続に際し、村田宗殖(万好斎)は政宗の弟、小次郎擁立派として暗躍するが敗れる
1591年 伊達政宗の長男、兵五郎秀宗が当地で誕生
  村田宗殖(万好斎)、仏門に入り、村田城は伊達家直轄の蔵入地に。後藤三郎右衛門が城代に
1613年 伊達政宗の七男、伊達宗高が城主に(3万石)
1623年 刈田岳噴火
(後略)