大淀川そばの伊東・島津取り合いの地
穆佐城むかさじょう
場所 宮崎県宮崎市高岡町小山田964
旧国郡名 日向国 諸県郡
別名 穆佐院高城
種別 平山城
築城時期 不明(南北朝時代以前)
築城背景 不詳
名城 私の500名城
主な城主 畠山直顕、伊東家、島津家、島津久豊
天守 なし
主な遺構 空堀、土塁、堀切、土橋
主な再建物  
交通 JR日豊本線 宮崎駅 約11.6km
駐車場 駐車スペース
徒歩・登山 駐車スペース〜登1分〜歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登2分

登城口(左手が駐車スペース)

新城にある空堀

新城の空堀と曲輪群

新城の曲輪群

主郭の土塁
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構成 日向国中南部、宮崎平野を流れる大淀川そばの丘陵に築かれた平山城。

城域は東西に細長く、3本の堀切によって大きく4区画(本丸、西の丸、新城、D曲輪群)に隔てられていた。

中央の曲輪群が本丸と呼ばれ、高い土塁を持つ主郭や坪の城と呼ばれる重要な曲輪があった。

東の曲輪群は新城と呼ばれ、小さな曲輪が空堀を隔てて不規則に配され、本丸の西の西の丸は比較的大きな曲輪が整然と並んでいた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 国史跡となっている。

東の新城の南端、以前の小学校のそばに小さな駐車スペースがあり、石段を登ると祠が見えてくる。

雨が降っていたこともあるが、この石段が大変滑りやすく、管理人も降りてくる途中でうっかり滑り、背中をしたたか打ってしまった。登山靴を履いてはいたが、ツルツルした石では全く役に立たなかった。幸い大事には至らなかったが、濡れている際は要注意である。

新城の各曲輪は小さな木柵で囲まれており、曲輪の形状がわかりやすい。深い空堀も見どころのひとつ。

本丸には土塁などが残るが、雑草が生い茂るなど、整備状態はあまり良くない。
略歴
????年 築城
1335年頃 その後、足利一門の畠山直顕が下向し、城主に
1338年 畠山直顕、伊東祐広や野辺盛忠を帰服させる
1339年 畠山直顕、肝付兼重を帰服させる
1345年 畠山直顕、日向守護に
1357年 畠山直顕、島津家との抗争に敗れる
  (中略)
1401年頃 島津家第七代当主、島津元久の次弟、島津久豊が城主に
1411年 島津元久の死後、当主になることが決まっていた伊集院煕久を追放し、島津本家の当主に
  (中略)
1445年 伊東家の支配下に
  (中略)
1578年 島津家の侵攻を受けた伊東義祐が、大友宗麟を頼って豊後国へ脱出。これにより再び島津家の支配下に
(中略)
1615年 一国一城令により廃城