亥鼻城に代わり千葉家が築いた 
本佐倉城もとさくらじょう
場所 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉829付近
旧国郡名 下総国 印旛郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1471年頃(文明年間)
築城背景 岩橋孝胤が、亥鼻城に代わる居城として築城し千葉氏を名乗る
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 岩橋(千葉)孝胤、千葉勝胤、千葉昌胤、千葉利胤、千葉親胤、千葉胤富、千葉邦胤、千葉直胤、土井利勝
天守 なし
主な遺構 堀、土塁
主な再建物  
交通 京成本線 大佐倉駅 徒歩約20分
駐車場 無料駐車スペースあり
徒歩・登山 駐車場〜登る3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

城山(本郭)と奥ノ山の間の大堀切

東山虎口

東山

城山(本郭)からW郭を見下ろす
構成 下総国のほぼ中央、印旛沼の東南に位置する台地上に築かれた平山城。

東から西に続く尾根に、本郭(城山)、奥ノ山(二の丸に相当)、倉跡、セッテイと呼ばれる曲輪を並べ、堀切や切岸、土塁など区切った。

城域の北東へ向かう尾根は東山と呼ばれ、出丸に相当する郭であったと推定される。

東山と主郭の間の広い平地は東山馬場であった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城址公園となっており、発掘調査も行われ各所に説明板が立てられている。

W郭の東側の東山馬場に駐車スペースが確保されており、ここから楽に城跡を歩き回ることができる。

尚、江戸時代になってから土井利勝が築いた佐倉城は、当城の西、約4.5qの台地上にある。
略歴
1471年頃 岩橋孝胤が家督を相続し築城、亥鼻城から移る。断絶していた千葉姓を名乗る
1492年 千葉孝胤が隠居、千葉勝胤が城主に
1509年 千葉勝胤が隠居、千葉昌胤が城主に
1520年 古河公方の座を追われた足利義明が小弓公方を名乗り敵対勢力となったことから、千葉昌胤は相模国の北条家と結ぶ
1532年 千葉昌胤、北条氏綱の娘と結婚
1538年 千葉昌胤、第一次国府台合戦に北条方として参陣
1546年 千葉昌胤死没。子の千葉利胤が城主に
1546年 千葉利胤死没。子の千葉親胤が6歳にして家督を相続し城主に。実権は親北条派の家臣で、小弓城主の原胤清に握られる
その後千葉親胤は、原胤清の専横に不満を持ち、古河公方方に寝返る
1557年 千葉親胤、北条家に捕らえられ幽閉された上、暗殺される
家督を、東家の一族、海上富胤が相続し、千葉富胤を名乗る
1561年 里見義弘の家臣、正木信茂に小弓城や臼井城を奪われる
1561年 長尾景虎(上杉謙信)小田原城攻めで、千葉富胤は北条家に味方するが、その後和睦し、景虎の関東管領就任式にも出席
1564年 千葉富胤、北条家の支援のもと、小弓城や臼井城を奪還
1566年 千葉富胤、越山してきた上杉謙信(長尾景虎)臼井城を攻められるが、守り切る
1579年 千葉富胤が死没、子の千葉良胤が城主に
その後、千葉良胤が反北条の立場を取ったことから追放され、弟の千葉邦胤が城主に
その後、千葉良胤、北条氏直の養女と結婚
1585年 千葉良胤、家臣から暗殺される
北条氏政の実子、直重が家督を相続し、千葉直重と名乗る
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めの際、千葉直重も小田原城に籠城
戦後、千葉家は改易となり、直重は兄の北条氏直とともに高野山へ
関東に移封となった徳川家により破却される
1610年 佐倉藩主となった土井利勝が修築の上、居城に(3万2千石)
1615年 土井利勝、佐倉城を築城し居城に
廃城