印旛沼に面した臼井城の支城
師戸城もとろじょう
場所 千葉県印西市師戸723付近
旧国郡名 下総国 印旛郡
別名  
種別 平山城
築城時期 不明(鎌倉時代)
築城背景 鎌倉時代に臼井城の支城として師戸家により築城されたと推定
名城 私の500名城
主な城主 師戸家
天守 なし
主な遺構 空堀、土塁
主な再建物  
交通 京成本線 臼井駅 徒歩約40分
駐車場 印旛沼公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩2分

三の丸と外郭の間の空堀

空堀

三の丸の土塁

二の丸から望む印旛沼
構成 下総国のほぼ中央、印旛沼に面した北西の台地に築かれた平山城。

沼側の崖上に本丸、その北に二の丸を置いて主郭とし、空堀を隔てた北側に広大な三の丸を配し土塁と空堀で囲んだ。

三の丸の北には、空堀を隔てて道台と呼ばれた外曲輪があった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 印旛沼公園となっており、土塁や空堀が残されている。

本丸は自由広場、二の丸は花木園となっており低い展望台がある。

三の丸は広い芝生の広場で、外曲輪も自由広場になっており、そのそばに公園の駐車場がある。
略歴
1300年代 臼井城の支城として築城
(中略)
1478年 長尾景春の乱の末の境根原の戦で太田道灌に敗北し追討を受けた千葉孝胤が、一族の臼井持胤、臼井俊胤が守る臼井城に逃げ込み籠城するが、翌年落城
1479年 臼井城が、太田道灌に呼応していた千葉自胤の支配下に入る
千葉孝胤が臼井城を再び奪還
(中略)
1514年 臼井俊胤の隠居により家督を相続した臼井景胤が臼井城主に
1518年 古河公方の弟、足利義明が小弓公方を名乗り、古河公方と対立すると、城主、臼井景胤は足利義明に味方。
これにより、主家の千葉家とも敵対関係に
1538年 国府台合戦(第一次)で、小弓公方、足利義明が戦死。
これを受け、臼井城主、臼井景胤は千葉家に帰参
1557年 臼井城主、臼井景胤が死没
子の臼井久胤が臼井城主となるが、主家、千葉家家老の原胤清の子、原胤貞が入城し、臼井久胤を後見
1561年 小田原城攻め(上杉謙信)に呼応した、里見家家臣で大多喜城主の正木大膳に攻められ落城
1564年 原胤貞が奪還に成功
1566年 越山してきた上杉謙信(長尾景虎)に攻められ臼井城が落城寸前のところ、北条家、千葉胤富の援軍を受け守りきる
1570年 成実城が里見家により攻略されたため、臼井城が原家の本城に
1590年 小田原城攻め(豊臣秀吉)では、浅野長政、内藤家長らに臼井城とともに攻められ落城
廃城