秀吉の干殺しで落城した播磨の城
三木城みきじょう
場所 兵庫県三木市上の丸町5付近
旧国郡名 播磨国 三木郡
別名 釜山城、別所城
種別 平山城
築城時期 1492年(?)(明応元年)(?)
築城背景 赤松氏の旧領、播磨国美作国備前国回復に功があり、当地を含め8郡を拝領した別所則治が、居城とすべく築城。
名城 私の500名城
主な城主 別所則治、別所就治、別所安治、別所長治、中川秀政、中川秀成、伊木忠次、伊木忠繁
天守 なし
主な遺構 土塁、空堀
主な再建物  
交通 神戸電鉄粟尾線 三木上の丸駅 徒歩約5分
駐車場 上の丸公園の無料駐車場
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

本丸跡(上の丸公園)

本丸から見おろす三木市街

別所長治像
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構成 播磨国東部の台地、湯山街道沿いに築かれた平山城。

北側を東から西に流れる美嚢川(加古川の支流)を天然の外堀とし、本丸、その西に西の丸、本丸の東に新城、東丸、その南には二の丸などを配し、さらにそれら主郭部の周囲にも、北側に三の丸、西側に中嶋丸、東側に平山丸などが取り囲んでいた。

曲輪を連ねた連郭式の縄張り。

本丸の天守台には天守ではなく、櫓が築かれていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸は上の丸公園や保育園となっており、公園には別所長治の石像などが置かれている。
二の丸には、図書館や美術館が建てられ、市街化されている。

二の丸の南には、別所氏ゆかりの雲龍寺があり、別所長治の首塚がある。
略歴 1492年(?)
別所則治が築城。

1530年
赤松氏に従っていたことから、浦上氏と細川氏の連合軍に攻められ一旦落城するが、翌年の戦で逆転勝利。

1538年
出雲国尼子晴久に攻められるが守りきる。

1539年
再び出雲国尼子晴久に攻められるが守りきる。

2回の籠城に成功したことで、東播磨における別所氏の地位が向上。

その後、主家を赤松氏から細川晴元に変える。

1554年
細川晴元に敵対した三好勢に攻められ、翌年三好氏に降伏。

1568年
上洛に成功し三好勢を畿内から追った織田信長に従う。

1569年
城主の別所安治が、織田家の羽柴(豊臣)秀吉に従い、西播磨攻略戦に参陣。

1570年
三好氏についている浦上宗景に攻められるが守りきる。

1578年
城主別所長治が織田家に反旗を翻し毛利方につき、籠城を始める。

1579年
羽柴(豊臣)秀吉による三木城兵糧攻め始まる。

1580年
開城。城主別所長治は自害。

1585年
三木6万5千石を拝領した中川秀政が城主に。

1592年
文禄の役(朝鮮出兵)において、城主中川秀政が戦死。

跡を継いだ弟の中川秀成が城主に。

1600年
池田輝政播磨国52万石を拝領すると、家臣の伊木忠次が城主に。

1603年
城主、伊木忠次が死没し、子の伊木忠繁が城主に。

1615年
一国一城令により廃城。