瀬戸内制圧のための小早川隆景の海城
三原城みはらじょう
場所 広島県三原市館町1-1
旧国郡名 備後国 御調郡
別名 浮城
種別 平城(海城)
築城時期 1567年(永禄10年)
築城背景 沼田小早川家の養子となった小早川隆景が、瀬戸内海制圧の拠点とするため築城し居城とした
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 小早川隆景、福島正之、浅野忠長(城代)
天守 なし
主な遺構 石垣、天守台、堀、土塁
主な再建物  
交通 JR山陽新幹線 三原駅から徒歩1分
駐車場 三原駅周辺の有料駐車場など
徒歩・登山 三原駅〜登る1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登1分

三原城の本丸と詰の城、桜山城
 

堀(天守台の東側)、石垣、
新幹線三原駅 

堀(天守台の北側)
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構成 備後国の西南端、瀬戸内海の三原湾に注ぐ沼田川の河口そばの小島をつないで築かれた、海城。

海に面した台形の島に本丸を置き、その西に水路(内堀)を挟んで二の丸、そして広い西築出が築かれた。西築出の北側に西大手門が開かれた。

本丸の東は内堀を挟んで三の丸、さらに中堀を隔てて東築出が築かれ、その北側に東大手門が開かれた。

本丸の東南部には、幅20m以上ある東船入があった。

本丸の北の高台が天守台で、実際には天守は築かれなかったが、3基の2重櫓が上げられた。

三原城の北にある、綺麗な円錐形の桜山が詰の城(桜山城)で、三原城から桜山城に至る平地には山陽道(西国街道)が通り、武家屋敷が立ち並んでいた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 市街化が進み、本丸は東西にJR山陽本線、新幹線が貫いているものの、北側の天守台の石垣と内堀の一部が残っている。

また船入の一部や石垣などもわずかに残っている。
略歴
1567年 小早川隆景が築城し、新高山城から居城を移す
1570年 小早川隆景の父、毛利元就出雲国の尼子氏を降伏させる
これにより毛利家は中国10ヶ国120万石の支配者に
1571年 毛利元就死没
1576年 毛利氏、織田信長と敵対関係に
1582年 備中高松城の攻防戦。(羽柴(豊臣)秀吉備中高松城の水攻め
本能寺の変
1584年 毛利氏、秀吉の臣下となり、小早川隆景も養嗣子の小早川元総(秀包)を人質として大坂の秀吉に送る
1585年 小早川隆景伊予国一国を拝領
1587年 小早川隆景九州攻めで貢献し、筑前国筑後国肥後国の一部を加増され、合計37万1千石となり筑前国名島城に移る
1595年 小早川隆景が 隠居し、養子の小早川秀秋に家督を譲った小早川隆景が、再び城主に
1597年 小早川隆景死没
1598年 豊臣秀吉死没
1600年 関ヶ原の戦で、小早川秀秋が東軍に寝返り、徳川家康に勝利をもたらす
備前国美作国、52万石を拝領した小早川秀秋に替わり、安芸国備後国49万石を拝領し広島城を居城とした福島正則の支配下となり、その養嗣子、福島正之が三原城主に
1619年 福島正則が改易に
1621年 浅野長晟が広島藩主となり、筆頭家老の浅野忠吉が城代に
(後略)