利根川河畔の名城
前橋城まえばしじょう
場所 群馬県前橋市大手1-13付近
旧国郡名 上野国 那波郡
別名 石倉城、厩橋城
種別 平城
築城時期 1490年頃(延徳2年頃)
築城背景 箕輪城の支城として長野方業が築城し、石倉城と名づけた
名城  
主な城主 長野方業、長尾賢忠、北条家、北条高広、滝川一益平岩親吉、酒井重忠
天守 3重3階天守(非現存)
主な遺構 土塁、石垣
主な再建物  
交通 JR両毛線 前橋駅 徒歩約30分
駐車場 群馬県庁の有料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
× 歩3分

利根川からみた本丸跡(県庁のある場所)

本丸跡の小公園
構成 上野国の要衝、厩橋の利根川河畔に築かれた平城。

坂東太郎利根川の左岸に各曲輪を並べた連郭式の縄張りだったとされる。
川に最も近い西端の本丸には3重3階の天守があった。

江戸時代の利根川の氾濫や地震で城を大きく崩壊したことから、一時廃城となっていたが、1863年に再築城が開始され、往時よりも多数の曲輪による新しい縄張りが完成した。
旧城の三の丸跡を本丸とし、渦巻き状に二の丸、三の丸を配した渦郭式だった。
縄張図
または
現地
案内図
noimage
現状 遺構は県庁北側に高い土塁が残る程度。
群馬県庁が本丸、市役所が二の丸、地方裁判所が三の丸である。
略歴
1490年頃 上野国箕輪城の支城として、長野方業が築城。(石倉城)
1534年 利根川の洪水により破壊される
その後、長尾賢忠が三の丸跡に再築城、厩橋城と改称
1546年 河越夜戦で、関東管領の上杉憲政北条氏康に敗北し平井城に退く
1552年 上杉憲政北条氏康に攻められ上野国を脱出、越後国長尾景虎(上杉謙信)を頼ると、厩橋城も北条家に包囲され開城、長尾賢忠も越後国へ逃れる
1560年 長尾景虎(上杉謙信)が攻め落とし、北条家から奪回
長尾賢忠が再び城主に
1563年 北条・武田連合軍に攻め落とされる
その後長尾景虎(上杉謙信)が再度攻め落とし奪回
長尾家の北条高広が城代に
1579年 武田勝頼に攻め落とされ、北条高広は武田家に降る
1582年 織田信長の武田攻め(天目山の戦)で、武田家が滅亡
信長の部将滝川一益が城主に
本能寺の変が起こると、北条家が滝川一益を攻め勝利(神流川の戦)したことから、北条家の配下に
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めでは、浅野長政に攻められ落城
戦後、徳川家康が関東に移封されると、重臣のが平岩親吉が厩橋3万3千石を拝領し城主に
1601年 平岩親吉の転封により、酒井重忠が城主に
その後、酒井重忠が大改修を行い天守を建設
1649年 前橋城に改称
(後略)