加藤嘉明が築いた勝山頂上の堅城
松山城まつやまじょう
場所 愛媛県松山市丸之内
旧国郡名 伊予国、温泉郡
別名 勝山城、金亀城
種別 平山城
築城時期 1602年(慶長7年)
築城背景 松前城主(6万石)加藤嘉明が、関ヶ原の戦での戦功から伊予国松山20万石を拝領し、居城とすべく築城。
名城 日本100名城  私の500名城  現存12天守
主な城主 加藤嘉明、蒲生氏、松平氏
天守 連立式層塔型3重3階地下1階
大天守、小天守、南隅櫓、北隅櫓を渡り櫓で連結(現存)
主な遺構 天守、櫓、門、塀、石垣、堀
主な再建物 小天守、櫓、門、塀
交通 JR予讃線 松山駅 徒歩約20分(ロープウェイまたはリフト乗り場まで)
駐車場 ロープウェイ乗り場北側の有料駐車場など
徒歩・登山 駐車場〜徒歩2分〜乗り場〜ロープウェイまたはリフト5分〜長者ヶ平〜徒歩7分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩7分

松山城大天守(右)と再建小天守

大天守から本壇(手前)と本丸を見下ろす

太鼓櫓(本丸の南西隅)

湯築城跡からの遠望
構成 伊予国北西、道後(松山)平野にある小山、勝山の山頂部に築かれた平山城。

山頂部に南北に伸びる尾根に本丸が置かれ、北端が連立天守があげられた本壇と呼ばれる主郭になる。本壇は続櫓付きの三つの門により防備が高められていた。

本壇中央の3重3階地下1階の大天守や、一の門南櫓などは安政元年(1854年)に再建されたまま現存している。

大天守を取り囲む櫓は、南側の小天守(二重)、南櫓、北隅櫓、天神櫓(以上再建)、三の門南櫓、二の門南櫓、一の門南櫓(以上現存)の七棟で、各櫓は廊下櫓や門で接続されていた。(連立式)

本壇を取り囲むように、乾櫓、野原櫓(以上現存)、乾門東続櫓、艮門東続櫓(以上再建)があげられ、さらに本丸の南側にも隠門続櫓(現存)、馬具櫓、太鼓櫓、巽櫓(以上再建)があげられた。

勝山の麓、南西には御殿のあった二の丸が、その西から南には三の丸が広がり、三の丸は北東部の二の丸を除いた周囲に水堀が廻らされていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城山公園となっており、麓からはロープウェイやリフトも通っており軽装でも本丸及び本壇を巡ることができる。
現存大天守などの遺構に加え、小天守や櫓が見事に復元されており圧巻。

二の丸は二の丸史跡庭園など、三の丸は、美術館や市民会館、NHK松山放送局などとなっている。
略歴
1602年 加藤嘉明が、居城とすべく勝山に築城を開始
1603年 加藤嘉明、この地を松山と命名
1627年 加藤嘉明、会津へ転封
替わって蒲生忠知が城主に。(24万石)
1634年 蒲生忠知が死没し、大洲藩主の加藤泰興預かりとなる
1635年 松平定行が城主に。(15万石)
(後略)