魚津の南、守護代椎名家の山城
松倉城まつくらじょう
場所 富山県魚津市鹿熊(登城口:鹿熊487の東南250m)
旧国郡名 越中国 新川郡
別名 鹿熊城、金山城、松蔵城
種別 山城
築城時期 南北朝時代
築城背景 越中国守護の井上俊清が築城
名城 私の500名城
主な城主 井上家、桃井家、椎名家、河田長親上条政繁(上杉氏城代)、佐々家、前田家
天守 不明
主な遺構 土塁、石積、堀切
主な再建物  
交通 JR北陸本線 西魚津駅 約10km
駐車場 専用の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

本丸

二の丸と本丸の間の堀切

本丸から富山湾方面を望む

八幡堂曲輪
構成 越中国北部、魚津の町の南南東約2里にある鹿熊集落を見下ろす、標高430m、比高360mの山に築かれた山城。

背後には松倉金山があり、この地の支配をめぐる争いの元にもなっていた。

標高413mの主郭は3600uと広大で、そこからから南へ向かう尾根上にニの曲輪、三の曲輪、四の曲輪を堀切で隔てて配し、さらに主郭の北には八幡堂のある八幡堂曲輪が置かれた。

標高の最も高い430mの山頂は平ノ峰と呼ばれ、最南端の八幡堂曲輪からの直線距離は650m。

その他、尾根上に多くの曲輪が配されていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡として整備されており、主郭すぐ下まで車で登って行ける。

土塁、石積、堀切などの遺構が残り、本丸からの眺望も良い。
略歴
1340年頃 越中国守護の井上俊清が築城
(中略)
1480年頃 椎名家が越中国新川郡の守護代となり、松倉城主に(推定)
1520年 越後国守護代の長尾為景の侵攻を受け降伏
1560年 城主椎名康胤 富山城主の神保長職に松倉城を攻められるが、長尾景虎(上杉謙信)の援軍を得て勝利
長尾景虎(上杉謙信)神保長職の増山城、富山城を攻め落とす
1560年 城主椎名康胤長尾景虎(上杉謙信)に従い関東へ出兵
1562年 椎名康胤神保長職の攻勢を受け金谷で戦うが、家老の神前筑前守(従弟)を討たれるなど大敗。(神通川の戦)
1568年 城主椎名康胤長尾景虎(上杉謙信)に謀反し武田信玄に寝返る
1569年 上杉政景(上杉謙信)に攻められる
1571年 上杉謙信に攻められ落城
1573年 上杉謙信の重臣、河田長親が城主に
1578年 上杉謙信死没
1581年 城主河田長親が死没。上条政繁が入城するが織田家の攻勢が強まる
1582年 魚津城の戦で落城、織田家が支配
本能寺の変。これにより、上杉家が再び城を支配
1583年 佐々成政に攻められ開城。佐々成政の支配下に
1587年 佐々成政肥後国に転封されると、前田利家の支配下に
その後廃城