謙信が二度攻めた神保家の支城
増山城ますやまじょう
場所 富山県砺波市増山1491付近(登城口)
旧国郡名 越中国 砺波郡
別名 和田城
種別 山城
築城時期 南北朝時代
築城背景 詳細不明
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 神保家、上杉家、佐々家、中川光重(前田家の城代)
天守 不明
主な遺構 土塁、堀切、湧水
主な再建物 模擬門
交通 JR北陸本線 油田駅 約7.4km
駐車場 専用の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜歩5分〜登城口〜登10分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登10分

和田川ダム側から望む城跡

登城口(大手口)

二ノ丸

又兵衛清水

E郭(馬之背ゴ)と土塁
noimage
構成 越中国の中央、砺波平野の東にある標高120m(比高80m)ほどの山に築かれた山城。

西から東に並べた一ノ丸、二ノ丸、三ノ丸を中心に、無常(曲輪)や鐘搗堂、安室屋敷、御所山屋敷を初め数多くの曲輪を点在させた。

一ノ丸と二ノ丸の間の谷間には又兵衛清水と呼ばれた水源があった。

西の麓を和田川が流れ、それを渡った平地に城下町が広がっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 松倉城、守山城とともに越中三大山城のひとつとされている。

増山湖の和田川ダムそばの大手口から登るのが良い。近くに専用の駐車場やそれに伴う休憩所も建てられており、ここにパンフレットなどが完備されている。

城跡は国の史跡として整備されており、登城口から10分ほどの登山で主郭部に至り、数多くの曲輪はもちろん、土塁、堀切などの中世山城の遺構を見て回ることができる。
略歴
南北朝時代 和田城として築城(異説あり)
1362年頃 二宮円阿が守備
(中略)
1560年 神保長職越後国長尾景虎(上杉謙信)に居城の富山城を攻め落とされ、支城の松倉城に逃げ込む
1562年 上杉政虎(謙信)に攻められ落城、神保長職は降伏
1566年 城主神保長職上杉政虎(謙信)と結んで一向一揆と戦う
1568年 嫡男の神保長住が武田信玄や一向一揆と同盟することを主張、家中は上杉派と、武田・一向一揆派に分かれて対立
1569年頃 上杉政虎(謙信)の介入を受け、武田・一向一揆派が平定される
1570年頃 神保長職が隠居、二男の神保長城が城主に
1572年 神保長職が一向一揆と和睦、これにより上杉謙信と敵対関係に
1576年 上杉謙信に攻められ落城
吉江宗信が城代に
1581年 織田勢が増山城を焼き討ち
1582年 本能寺の変
1583年 佐々成政越中国を平定
1585年 羽柴(豊臣)秀吉の越中攻めにより佐々成政が降伏
1587年 佐々成政肥後国に転封されると、前田利家の支配下に
1587年 前田家の家臣、中川光重が城代に
(後略)