現存する最古の天守
丸岡城まるおかじょう
場所 福井県坂井市丸岡町霞町1-59付近
旧国郡名 越前国 坂北郡
別名 霞ヶ城
種別 平山城
築城時期 1576年(天正4年)
築城背景 越前国を与えられた柴田勝家が、養子の柴田勝豊に命じそれまでの豊岡から拠点を移すべく築城
名城 日本100名城  私の500名城  現存12天守
主な城主 柴田勝豊、青山宗勝、青山忠元、今村盛次、本多成重
天守 望楼型2重3階(現存)
主な遺構 天守、石垣、井戸
主な再建物  
交通 JR北陸本線 丸岡駅 徒歩約50分
駐車場 霞ヶ城公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る2分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登2分

現存する中で最も古い天守

天守台の石垣

天守からの眺望
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構成 越前国の北部に広がる福井平野の東端にある小さな丘にに築かれた平山城。

城の北東を流れる五味川を引き込んで堀とし、石垣による天守台とそこに築かれた2重3階の望楼型(回縁勾欄付きの望楼がある)天守のある本丸、その北側に二の丸を置き、それらを取り巻く形で内堀を配した。

二の丸の北西に大手門を開き、内堀の外を取り巻く形で侍屋敷の建ち並ぶ三の丸が広がっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸部分は霞ヶ城公園となっており、現存する中で最も古い天守が残っている。

その他の曲輪は市街化され、堀もほとんどが埋め立てられている。
略歴
1576年 越前国を与えられた柴田勝家の養子柴田勝豊が築城し、それまでの豊岡から移転
1582年 柴田勝豊近江国長浜城に入城すると、家臣の安井家清が城代に
柴田勝豊柴田勝家から離反し羽柴(豊臣)秀吉に寝返る
1583年 柴田勝豊病没
賤ヶ岳の戦柴田勝家が敗北、北ノ庄城で自害
その後、羽柴(豊臣)秀吉からこの地を与えられた丹羽長秀の家臣、青山宗勝が城主に。(4万6千石)
青山宗勝の死後は、子の青山忠元が城主に
1600年 関ヶ原の戦で西軍についた青山忠元が戦死
1601年 越前国を与えられた結城秀康の家臣、今村盛次が城主に。(2万5千石)
1611年 丸岡藩の内紛により、城主、今村盛次が流罪に
1613年 本多成重(本多作佐衛門の子)が城主に。(4万3千石)
(後略)