早雲が龍王丸と北川殿を匿った
丸子城まりこじょう
場所 静岡県静岡市駿河区丸子3722付近(登城口)
旧国郡名 駿河国 有渡郡
別名 鞠子城、宇津谷城、三角城
種別 山城
築城時期 1400年頃(応永7年頃)
築城背景 駿河国守護、今川家の家臣、斎藤安元が居城とすべく築城。(推定)
名城 私の500名城
主な城主 斎藤家、今川家、山県家、徳川家
天守 なし
主な遺構 空堀、土塁
主な再建物  
交通 JR東海道線 安倍川駅 徒歩約70分
駐車場 誓願寺そばの無料駐車場など
徒歩・登山 駐車場〜登る20分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登20分

丸子城

本丸

本丸と二の丸の間の堀切

北曲輪と土塁

麓にある誓願寺
(片桐且元の墓がある)
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構成 駿河国西部、駿府の西を流れる安倍川を東に見下ろす山塊を利用した山城。

曲輪は南西から北東に伸びる尾根に連なっている。
南端の本丸から、堀切越しに二の丸、三の丸、北曲輪。
西側は土塁と深い空堀で防御した。

北曲輪は今川家時代は本丸として利用され、東側に東曲輪が配され、大手が開かれた。

また本丸の南西に物見曲輪や大鈩曲輪が、東側には神曲輪なども配された。
縄張図
または
現地
案内図
現状 南の誓願寺側からの登城の場合、本丸までは約15分ほど登る。

城跡となっており雑木も多いが、空堀や土塁などの遺構がしっかりと残っている。
略歴
1400年 今川家の家臣、斎藤安元が築城し城主に
(中略)
1476年 今川義忠が一揆に攻められ戦死
これにより、今川家で家督争いが起こり、龍王丸(今川氏親)派と、父従兄弟である小鹿範満派が対立
叔父の伊勢盛時(北条早雲)の仲裁により、龍王丸(今川氏親)が成人後に家督することで決着し、龍王丸(今川氏親)は母(北川殿)とともに駿府の西、丸子に留まる
1487年 龍王丸(今川氏親)が成人したにも関わらず、小鹿範満が家督返還をしなかったことから、再び叔父の伊勢盛時(北条早雲)が小鹿範満を討つ
龍王丸(今川氏親)、家督を相続し今川館(駿府城)に入り、元服し氏親と名乗る
1493年 丸子城はが今川館(駿府城)の支城に
(中略)
1526年 今川氏親が死没。子の今川氏輝が家督を相続
1535年 今川氏輝が死没
1536年 花倉の乱で、庶兄、玄広恵探に勝利した今川義元が家督を相続
1560年 桶狭間の戦今川義元が戦死。子の今川氏真が家督を相続
1568年 相甲駿三国同盟が破棄される
1569年 武田信玄から攻められ、今川氏真駿河国を失う。(駿府攻め
これにより、駿河国江尻城代となった信玄の家臣山県昌景の支配下に
1570年 諸賀兵部大輔、関甚五兵衛らが城将に
1578年 屋代勝長が城将に
この頃、大改修が加えられる
1581年 武田方の拠点、高天神城徳川家康により攻略されたため(高天神城の戦(第二次))、徳川家の支配下に
松平備後守が城代に
1590年 徳川家康の関東転封にともない廃城