桶狭間の戦の前日、義元が軍議を開いた
沓掛城くつかけじょう
場所 愛知県豊明市沓掛町東本郷11
旧国郡名 尾張国 愛知郡
別名  
種別 平城
築城時期 1394年頃(応永元年頃)
築城背景 藤原義行が築城。(詳細不明)
名城 私の500名城
主な城主 近藤家、簗田政綱、織田信照、川口久助
天守 なし
主な遺構 土塁、堀
主な再建物  
交通 名鉄名古屋本線 前後駅 徒歩約45分
駐車場 沓掛城の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

堀越しに見る本丸の土塁

堀跡

本丸
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構成 尾張国の東端、三河国との国境に近い沓掛の町の平地に築かれた平城。

土塁を掻きあげた本丸の周囲を堀や空堀で囲み、南に二の丸、西に諏訪曲輪、北側には侍屋敷を配した。
縄張図
または
現地
案内図
現状 沓掛城址公園となっている。
遺構は本丸の土塁や堀跡で、本丸は芝生広場、二の丸は広場、侍屋敷は駐車場などとなっている。
略歴
1394年頃 藤原義行が築城
その後、近藤家の居城に
(中略)
その後、近藤家は三河国岡崎城の松平家に従属
1541年 古渡城主、織田信秀の攻勢を受け従属
1551年 織田信秀が死没。これにより駿河国今川義元に従属
1559年 今川義元が上洛戦を開始
1560年 今川義元が入城
今川義元桶狭間の戦織田信長に討たれる
織田勢に攻められ落城。城主、近藤景春は討ち死に
信長家臣で桶狭間の戦で戦功のあった簗田政綱が城主に
1575年 簗田政綱、加賀一向一揆攻めの戦功により、加賀国天神山城主に
織田信照が城主に
1582年 本能寺の変
織田信照、信長の二男で尾張国主となった織田信雄の家臣に
1584年 小牧・長久手の戦
その後、織田信照は徳川家康の重臣、本多忠勝の家臣に
その後、川口宗勝が城主に
1600年 関ヶ原の戦で川口宗勝は西軍につくが敗戦。戦後捕らえられ伊達政宗預かりに。これにより廃城