北条勢に何度も攻められた里見家の本拠
久留里城くるりじょう
場所 千葉県君津市久留里
旧国郡名 上総国 望陀郡
別名 雨城
種別 山城
築城時期 1455年頃(康正元年頃)
築城背景 上総武田家の祖となった武田信長が、真里谷城、庁南城に継ぐ拠点にすべく築城、三男の武田信房を城主とした。
名城 私の500名城
主な城主 武田信房、里見家、北条家、大須賀忠政、土屋忠直、黒田家
天守 2重天守(非現存)
主な遺構 堀、空堀、井戸、土塁
主な再建物 模擬天守
交通 JR久留里線 久留里駅 徒歩約30分
駐車場 城跡中腹の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る7分〜天守
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登7分

模擬天守と天守台(手前)

籠城戦に威力を発揮した
男井戸(おいど)、女井戸(めいど)

薬師曲輪から見おろす城下(三の丸)

堀切
構成 上総国中央やや南部の山塊を利用して築かれた山城。

主郭部は天守台のある本丸、その周囲の波多野曲輪、弥陀曲輪、尾根伝いに配された天神曲輪、二の丸、薬師曲輪などからなる梯郭式の縄張りで、各曲輪間は空堀などで隔てられていた。

天守台には2重天守があげられた。

麓の平野部には内堀を隔てて三の丸が広がり、城域の西を蛇行する小櫃川が天然の外堀の役割を担っていた。
三の丸の北西に大手が、南西に搦手が開かれた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡中腹にある駐車場からは10分足らずで主郭部へ行ける。

本丸跡には2重2階の望楼型模擬天守が建てられ、天守台が残されている。
二の丸には資料館が建てられている。

各曲輪や空堀、井戸などが割りとよく保存されている。
略歴
1455年頃 上総武田家(真理谷家)の武田信長が築城し、三男の武田信房を城主に
1538年 第一次国府台合戦で、小弓公方、足利義明に味方した真里谷信応が北条家に敗北
これにより空白地帯となった上総国里見義堯が進出、久留里城を攻略し、里見義堯の本拠に
1552年 北条氏康の進出により、国人領主たちが北条家につく
1554年 第一次久留里城の戦で、里見義堯里見義弘父子が北条勢を退ける
1560年 第二次久留里城の戦で、里見義堯里見義弘父子が長尾景虎(上杉謙信)に出陣を要請し、北条氏康を退ける
1564年 第二次国府台合戦里見義弘が北条家に大敗、北条家が久留里城を攻略
1566年頃 里見義弘が再び奪還
1567年 北条家に攻められるが撃退。(三船山の戦)
1578年 城主、里見義弘が病没
1581年 第三次久留里城の戦で北条家から攻められるが撃退
1587年 第四次久留里城の戦で北条家から攻められるが撃退
1590年 豊臣秀吉小田原城攻め後、里見家は安房国9万石に減封
戦後、徳川家康が関東に移封となり、家臣の大須賀忠政が城主に。(3万石)
1602年 土屋忠直が城主に。(2万石)
(後略)