13万石を領した毛利秀包が大改造
久留米城くるめじょう
場所 福岡県久留米市篠山町412
旧国郡名 筑後国 三瀦郡
別名 篠原城、篠山城、篠原城、久留目城、来目城、雨城
種別 平山城
築城時期 1504年頃(永正元年頃)
築城背景 地元の豪族が砦程度の城を築城し、笹原城と呼んだ
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 毛利秀包、田中吉信、有馬豊氏
天守 天守替わりの3重巽櫓(非現存)
主な遺構 石垣、堀
主な再建物  
交通 JR九州新幹線など 久留米駅 徒歩約16分
駐車場 無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登1分

巽櫓の石垣

乾櫓、太鼓櫓の石垣と内堀

月見櫓の石垣

筑後川
構成 筑後川と宝満川の合流地点そばの、比高15mほどの丘陵に築かれた平山多聞作りの平山城。

川に近い部分に方形(東西約96m、南北約156m)の本丸を置いて周囲に内堀を巡らせ、南に二の丸と三の丸を並べた連郭式の縄張り。

これら主郭の東には、幅広の筑前堀を挟んで柳原と呼ばれた南北に細長い帯曲輪が置かれ、主郭の南には四の丸とも呼ばれた外郭が広がり、大手は外郭の南に開かれた。

本丸中央には本丸御殿が建てられ、曲輪隅には天守に替わる3層の巽櫓をはじめ、月見櫓、艮櫓、乾櫓、坤櫓などがあった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸は久留米城址として整備されており、篠山神社や有馬記念館が建てられている。

石垣や内堀が遺構として残されており、東壇下の蜜柑曲輪は環境客用の駐車場となっている。

二の丸や三の丸はブリジストンの工場となっている。

外郭は市役所などとなっている。
略歴
1504年頃 地元の豪族が築城(篠原城)
(中略)
1587年 久留米13万石を拝領した毛利秀包が城主に
1600年 関ヶ原の戦で西軍についた毛利秀包が改易に
筑後国一国(32万石)を拝領し、柳川城主となったた田中吉政の支配下となり、吉政の次男、田中吉信が城主に
1606年 田中吉信が死没
1609年 田中吉政が死没、子の田中忠政が家督を相続
1620年 田中忠政が死没するが、子がなかったため改易に
有馬豊氏が城主に(初代久留米藩主・21万石)
(後略)