九戸政実が根拠とした二戸の名城
九戸城くのへじょう
場所 岩手県二戸市城ノ内146付近
旧国郡名 陸奥国陸奥 二戸郡
別名 福岡城
種別 平山城
築城時期 1492年頃(明応元年頃)
築城背景 南部一族、九戸光政が築城し居城としたと推定
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 九戸光政、九戸政実南部信直
天守 不明
主な遺構 空堀、石垣、土塁
主な再建物  
交通 IGRいわて銀河鉄道 二戸駅 徒歩約30分
駐車場 二の丸の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩2分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩2分

本丸の空堀と石垣

本丸の土塁から望む内堀と
二の丸(右)

本丸の虎口(本丸から)

本丸の虎口(二の丸から) 

二の丸からの眺望
 

二の丸から望む
断崖上の本丸(左)と三の丸(右)
構成 陸奥国陸奥東南端の町、二戸の、馬渕川、白鳥川、猫渕川の三川の合流地点の台地に築かれた平山城。

断崖上の本丸、空堀を隔てて本丸を東から南に包むように広がる二の丸のほか、南の松の丸、東の若狭館、北東の外館(石沢館)などの曲輪を配し、それらの西から北、東までに三の丸が広がっていた。

本丸の空堀などは石垣造りとなっており、東日本においては最古級の石垣と言われている。

九戸政実が居城としていた頃の城域は、若狭館と外館(石沢館)などの部分で、本丸や松の丸は乱鎮圧後の南部信直による大改修によって生まれた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡公園として整備されており、本丸と二の丸の空堀や石垣、土塁、枡形虎口などの遺構を見て廻られる。若狭館と外館(石沢館)は立入りができなかった。
三の丸は市街化されている。
略歴
1492年頃 九戸光政が築城。(推定)
(中略・その後の歴史は不詳)
1570年 九戸政実、九戸城を居城に。
1582年 主家、南部家の家督相続問題をきっかけに、九戸政実が主家に不満を抱くように。
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めには参陣せず。(宗家の南部信直は参陣し本領を安堵される)
1591年 九戸政実、主家の南部信直に対し謀反。(九戸政実の乱)
手を焼いた南部信直豊臣秀吉に討伐を要請、6万の大軍に攻められ一族もろとも自害。
戦後、南部信直が九戸城を居城に。
1598年 南部信直不来方城(盛岡城)の築城を開始。
1599年 南部信直死没。子の南部利直が城主に。
1632年 南部利直死没。子の南部重直が城主に。
1636年 不来方城(盛岡城)が完成し、南部氏の居城となり、九戸城は廃城。