西上州の首領、小幡家の広大な山城
国峰城くにみねじょう
場所 群馬県甘楽郡甘楽町国峰1062付近(登城口)
旧国郡名 上野国 甘楽郡
別名  
種別 山城
築城時期 1240年頃(仁治年間)
築城背景 武蔵児玉党の流れを汲む小幡家が築城(推定)
名城 私の500名城
主な城主 小幡重定(憲重・信実)、小幡景定
天守 なし
主な遺構 空堀、堀切
主な再建物  
交通 上信電鉄 上州富岡駅 約7.5km
駐車場 御殿平の無料駐車場(ただし御殿平までの山道はかなりの悪路)
徒歩・登山 駐車場〜登15分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登15分

国峰城

中腹の御殿平

山頂の本丸
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構成 上野国南西部、甘楽郡小幡の町の南西半里(2km)にる標高428mの通称城山に築かれた中世山城。

山頂部、中腹、麓の3つから成り、その城域は南北2.5km、東西2kmにおよぶ。

山城部は山頂の本丸を中心に、西へ向かう尾根と東へ向かう尾根を掘切などを隔てていくつかの曲輪を並べた。

西側の尾根の先には、御嶽出丸と呼ばれる出丸が置かれた。

主郭から離れた東側の中腹には御殿平と呼ばれる平削地があり、戦国時代にはここに城主の館が建てられた。

麓部は中ツ沢、国峰の谷、恩田の3つの部分からなっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡として整備されているが、最近は手が入っていないようで雑草や倒木により荒れ放題となっており、空堀、堀切もかなり埋まってしまっている。

山頂部には神社の小さな祠や説明版がある。
略歴
1240年頃 小幡家が築城
(中略)
その後小幡家は、関東管領上杉家に仕え重臣に
(中略)
1546年 河越夜戦で関東管領上杉憲政が北条家に敗北
1552年 関東管領上杉憲政越後国へ逃亡する際、一族の小幡三河守も憲政に従うが、国峰城主の小幡憲重(重定)は城に残り北条家へ寝返る
まもなく城主の小幡憲重(重定)が嫡男(後の小幡信貞)とともに武田家へ主家を移す
1560年 上杉謙信が越山
西上州への武田家侵出を嫌った長野業政らが小幡憲重(重定)、小幡信貞父子を追い出し、一族の小幡景定を国峰城主に据える。これにより国峰城は上杉家支配下に
1561年 武田家に攻められ開城、小幡信貞が城主に
1566年 小幡信貞、武田家の上野方面の先鋒として箕輪城の戦などで貢献
1568年 小幡信貞駿府攻めに従軍
1572年 武田信玄上洛戦を開始、小幡憲重(重定)、小幡信貞父子も従軍し三方ヶ原の戦などに参戦
主君、武田信玄が死没
1575年 長篠の戦で、信実の父、小幡憲重(重定)が戦死(異説有り)
1582年 武田家が滅亡。織田信長の重臣、滝川一益の支配下に
  本能寺の変
神流川の戦で敗北した滝川一益が伊勢国へ去ると、城主、小幡信実は北条氏直に仕える
1582年 小幡信貞、家督を弟で養嗣子の小幡信秀に譲る
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めの際、小幡信実は小田原城に篭城し、小幡信秀が国峰城を守備したが、前田利家藤田信吉らの大軍に攻められ落城
廃城