加藤清正、渾身の巨城
熊本城くまもとじょう
場所 熊本県熊本市中央区本丸
旧国郡名 肥後国 飽田郡
別名 隈本城、銀杏城
種別 平山城
築城時期 1600年(慶長5年)
築城背景 関ヶ原の戦の戦功により、肥後国52万石に加増された加藤清正が、それまでの居城だった隈本城に加え、出田氏が築城した千葉城のあった一帯までも含む広大な城域に築いた巨城で、完成後に熊本城と改称された。
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 加藤清正、加藤忠広、細川忠利
天守 3重6階地下1階大天守(非現存)、3重4階地下1階小天守
主な遺構 石垣、堀、櫓、城門、城塀
主な再建物 大天守、小天守、櫓、門、本丸御殿大広間
交通 熊本市電 熊本城・市役所前駅 徒歩約10分
駐車場 二の丸跡の有料駐車場など
徒歩・登山 駐車場〜天守まで徒歩5分
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩5分

大天守、小天守(ともに再建)

西大手門

第三の天守と呼ばれる宇土櫓
(3重5階地下1階)
(大天守から見下ろす)

西出丸の堀と未申櫓と長塀

構成 熊本平野北の舌状台地である、茶臼山に築かれた平山城。
二つの古城を利用して築かれただけに城域は広大。

最高所の本丸、西に向かって平左衛門、丸数奇屋丸、西出丸、二の丸、三の丸とそれぞれ広大な曲輪を並べた梯郭式の縄張り。本丸の南側には家老の飯田氏の屋敷のあった飯田丸や竹の丸などの曲輪が置かれた。

本丸には3重6階地下1階大天守と3重4階地下1階小天守からなる連結式の天守をはじめ、第三の天守と呼ばれた宇土櫓(3重5階地下1階)や北側の裏五階櫓、本丸御殿などの建物が建ち並べられた。

数奇屋丸と飯田丸と竹の丸には5階建の櫓があげられた。

城域東側には坪井川が流れ、天然の外堀となっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 熊本城公園として整備され、日本三名城としての威容は圧巻。

シンボルである大天守、小天守は西南戦争で消失したが1960年に外観復元で再建されている。

遺構として残るのは、宇土櫓、監物櫓、田子櫓、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、源之進櫓、東十八間櫓、北十八間櫓、五間櫓、平櫓、監物櫓、以上十二基の櫓のほか、清正流(せいしょうりゅう)と呼ばれる高石垣、長塀、不開門など

また、本丸御殿大広間や飯田丸五階櫓、未申櫓、元太鼓櫓、南大手門、西大手門などが再建されている。
略歴
●隈本城
1530年頃 菊池氏の家臣、鹿子木氏が築城
1587年 九州攻め後、佐々成政が城主に
1588年 佐々成政が失政により失脚
加藤清正が城主に(19万5千石)
●熊本城
1600年 関ヶ原の戦の戦功により、肥後国一国52万石の太守となった加藤清正が大改築
1606年 隈本から熊本に改称
1611年 加藤清正死没。子の加藤忠広が城主に
1632年 加藤忠広、改易処分に
細川忠利が城主に(54万石)
(後略)