高天神城への補給拠点
小山城こやまじょう
場所 静岡県榛原郡吉田町片岡2547
旧国郡名 遠江国 榛原郡
別名 吉田城
種別 平山城
築城時期 1571年(元亀2年)
築城背景 遠江国の徳川家への侵攻の拠点として、武田家の重臣、馬場信春が築城(旧城を大改修)した
名城 私の500名城
主な城主 武田家、大熊朝秀(城代)
天守 なし
主な遺構 土塁、三日月堀、三重堀、井戸
主な再建物 3重4階地下1階望楼型天守、復元三日月堀、模擬木橋など
交通 JR東海道線 島田駅 約11km
駐車場 能満寺山公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

模擬天守

三日月堀(復元)

三重堀

二の郭と三の郭を隔てる堀
構成 駿遠国境を流れる大井川をすぐそばに見下ろす、牧之原台地南端の小丘に築かれた平山城。

最高部の本郭から階段状に二の郭、三の郭に並べた梯郭式の縄張りで、本郭への虎口前面には武田家特有の丸馬出を置き、三の郭の正面は三重堀を穿って防御を高めた。

本郭の東側の能満寺がある場所も、能満寺曲輪と呼ばれた。

築城当時の大井川は、もっと城に近い場所を流れていたため、天然の外堀として機能した。
縄張図
または
現地
案内図
現状 能満寺山公園として整備されている。

二の郭にある、犬山城を模した3重4階地下1階望楼型の模擬天守は、吉田町のシンボルにもなっているほか、三日月堀や丸馬出も再現されている。

模擬天守ばかりが目立つ城郭ではあるが、二の郭と三の郭の間の堀と土塁、三の郭の正面の三重堀などが残っており往時を偲ばせる。

能満寺には徳川家康ゆかりのソテツが植えられている。
略歴
1571年 武田家重臣、馬場信春が、それまでの山崎砦を大改修の上、築城
大熊朝秀が城代に
武田信玄、2万5千の兵を率いて徳川家の高天神城を攻めるが攻略できず
1572年 武田信玄上洛戦を開始
武田信玄三方ヶ原の戦徳川家康を破る
1573年 武田信玄、上洛途上で死没
1574年 跡を継いだ武田勝頼高天神城を攻め攻略。(高天神城の戦(第一次)
これにより、小山城は諏訪原城とともに高天神城への補給拠点に
1575年 長篠の戦で武田家が大敗
諏訪原城徳川家康に攻略される
これにより、武田家の遠江国領有において小山城の重要性が高まる
1580年 徳川家康高天神城攻略を開始
1581年 武田勝頼への援軍要請も叶わなかったことから高天神城が落城。
岡部元信は討ち死に。(高天神城の戦(第二次))
これにより、小山城は遠江国に孤立。
1582年 徳川家康に攻められ落城
城代、大熊朝秀は城内の食料を城兵たちに分け与えた後、甲斐国へ向けて落去
廃城