石垣をふんだんに使用して築かれた
甲府城こうふじょう
場所 山梨県甲府市丸の内1-4
旧国郡名 甲斐国 山梨郡
別名 甲斐府中城、舞鶴城
種別 平山城
築城時期 1583年(天正11年)
築城背景 甲斐武田家滅亡(天目山の戦)、本能寺の変天正壬午の乱を経て甲斐国を領有した徳川家康が、躑躅ヶ崎館に替わる拠点として家臣の平岩親吉に築城させた。ただし徳川家は完成前に関東へ転封になった。
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 豊臣秀勝加藤光泰浅野長政、徳川義直
天守 不明
主な遺構 石垣、堀
主な再建物 櫓、城門、城塀
交通 JR中央本線 甲府駅 徒歩約5分
駐車場 周辺の有料駐車場
徒歩・登山 甲府駅〜徒歩3分〜入り口広場〜登る3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

大手東に残る堀の手前から見る
長塀と石垣

遊亀橋から見る天守台

稲荷櫓(再建)

鍛冶曲輪門(再建)
構成 甲府盆地のほぼ中央の平地、武田家の居館、躑躅ヶ崎館の南約3qほどの一条小山に築かれた平山城。
かつてこの場所には、武田一族である甲斐一乗家の居館があった。

東に天守台を置く本丸曲輪を中心に、西に二の丸、本丸の東から北に広がる稲荷曲輪、本丸の南に鍛冶曲輪、その東に数奇屋曲輪などを階段状に配した梯郭式の縄張り。

各曲輪は石垣をふんだんに使用しており、近世城郭の典型のような城。

天守台に天守が存在したかどうかは判明していない。

これら主郭部の西(大手門の西)には楽屋曲輪が広がり、のちに柳沢吉保が豪壮な御殿を築いた。その北は屋形曲輪が広がり、そこにも御殿が建てられた。

主郭部の北も、堀を隔てて曲輪が広がっていた。
また、屋形曲輪の北側も堀を隔てて清水曲輪が存在した。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸周辺や二の丸の一部が残されており、舞鶴公園として整備されている。
曲輪の石垣や天守台、大手門の東の堀などが現存している。

稲荷曲輪の北東隅の稲荷櫓や、天守曲輪南側の長塀、城門などが再建されている。

清水曲輪跡はJR甲府駅、楽屋曲輪跡は県庁、鍛冶曲輪の西側は恩賜林記念館となっている。
また、主郭部北の堀はJRの線路となっている。
略歴
1583年 徳川家康が、家臣の平岩親吉に築城を命じる
1590年 小田原城攻め後、関東転封となった徳川家康に替わり、甲斐国信濃国を拝領した豊臣秀勝(秀吉の甥)が城主に
1591年 羽柴秀勝が美濃国岐阜へ転封
加藤光泰が城主に。(甲府24万石)
1593年 加藤光泰文禄の役(朝鮮出兵)の陣中で病没
浅野長政が城主に。(甲府21万5千石)
1601年 平岩親吉が城代に
1603年 家康の九男、徳川義直が城主に
1607年 徳川義直が尾張国へ転封、その後は城番が置かれる
1616年 徳川秀忠の二男、徳川忠長が城主に。(甲府24万石)
(後略)