上田家家老、山田伊賀守の居城
腰越城こしごえじょう
場所 埼玉県比企郡小川町腰越618付近(登城口)
旧国郡名 武蔵国 比企郡
別名  
種別 山城
築城時期 1185年頃(寿永4年頃)
築城背景 宇治川の戦で木曽義仲につき敗北し、隠居した山田清義(伊勢守)が、手薄な居館に替わる堅固な居城として築城
名城 私の500名城
主な城主 山田清義、山田直定
天守 なし
主な遺構 土塁、堀切
主な再建物  
交通 東武東上線 小川町駅 約3.5km
駐車場 総合福祉センターパトリア小川の共用駐車場
徒歩・登山 駐車場〜歩3分〜登城口〜登15分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登15分

腰越城(東麓から望む)

二の郭

本郭

城跡からの眺望

堀切に架けられた模擬木橋 
noimage
構成 秩父山地の東麓、槻川に三方を囲まれた標高216m、比高約100mの通称、城山に築かれた山城。

山頂部の本郭を中心に、二の郭、西郭などの大小17の曲輪を配し、竪堀や堀切、囮虎口(隠し虎口)などで巧みに防御した。

東南麓の榎戸口が大手口、また、西麓には家臣が暮らした根古屋があった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡として整備されており、総合福祉センターパトリア小川の駐車場からの登城が便利。

登城口からは約15分登ることになり、竪堀、堀切、土塁、曲輪などの遺構が残る。

主郭周辺からの眺望はよく、東は小川筋、西は安戸筋(東秩父)を見下ろすことができる。
略歴
1185年頃 山田清義(伊勢守)が築城
(中略)
その後、山田家は武蔵松山城主、上田家の家老に
1562年 城主、山田直定、赤浜の戦で討ち死に
弟(子という説も)の山田直安が跡を継ぎ城主に
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めの際、城主、山田直安は武蔵松山城に城代として籠城するが、前田利家上杉景勝らに攻められ落城。これにより腰越城も廃城