五階が四階より大きい南蛮造りの天守
小倉城こくらじょう
場所 福岡県北九州市小倉北区城内2-1
旧国郡名 豊前国 企救郡
別名 勝山城、勝野城、指月城、湧金城、鯉ノ城
種別 平城
築城時期 1602年(慶長7年)
築城背景 関ヶ原の戦の戦功により、豊前国に移封されてきた細川忠興中津城から移り本城とし、大改築、城下町の整備を行った。
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 高橋鑑種、毛利勝信、細川忠興、小笠原忠真
天守 4重5階天守(非現存)
主な遺構 石垣、堀
主な再建物 天守
交通 JR日豊本線 西小倉駅 徒歩約10分
駐車場 周辺の有料駐車場
徒歩・登山 西小倉駅前交差点〜天守まで徒歩5分
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩5分

小倉城 再建天守

再建天守(別方向から)

天守からの眺望
noimage
構成 関門海峡に流れ込む柴川の河口部に築かれた平城。

東側を流れる紫川は、天然の堀となっており、4重5階の天守のある本丸と、隣接する松丸、北の丸の主郭部を二の丸と三の丸が囲む輪郭式の縄張りだった。
また市街地を城域に取り込む惣構えでもあった。

城内の建物は数多く、大天守のほかに小天守1基、平櫓117基、二重櫓16基があった。
縄張図
または
現地
案内図
noimage
現状 勝山公園となっており、松本清張記念館が隣接されている。

現在の天守は1959年に再建され、歴史資料館と展望台を兼ねている。
天守の4階部分と5階部分の間に屋根庇がなく、また5階が下の5階よりも大きい南蛮造りになっているが、これは当時の天守にはなかった。
略歴
●旧城
1270年頃 緒方家が築城
1330年頃 黒崎家の属城となる
1470年頃 菊池家の属城となる
1569年 中国から進出してきた毛利家の属城となる
1587年 森(後に毛利)勝信が6万石を拝領し、城主に
1600年 関ヶ原の戦の戦功により、豊前国に移封されてきた細川忠興の居城、中津城の支城となり、弟の細川興元が入城
●新城
1602年 細川忠興中津城から移り本城とし、大改築、城下町の整備を行う
1609年 細川忠興の改築によって、本格的な近世城郭に
1632年 細川氏の肥後国転封により、徳川譜代の小笠原長次が入国、居城に
(中略)
1837年 火災により天守を含む本丸の建物が消失
(中略)
1959年 天守を再建