北条家が武蔵進出の足掛かりとした
小机城こづくえじょう
場所 神奈川県横浜市港北区小机町817付近(登城口)
旧国郡名 武蔵国 橘樹郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1438年頃(永享10年頃)
築城背景 関東管領山内上杉家が、武蔵国方面の敵勢から鎌倉を防衛するために築城したと推定
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 山内上杉家、笠原信為、北条氏堯、北条三郎(上杉景虎)、北条氏光
天守 なし
主な遺構 空堀、土塁
主な再建物  
交通 JR横浜線 小机駅 徒歩約15分
駐車場 付近になし
徒歩・登山 小机駅〜徒歩10分〜登城口〜登る7分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登7分

小机城の遠望

本丸への土橋

本丸南の空堀

富士仙元から第三京浜越しに望む城域
構成 武蔵国南部、鶴見川の南側の半島状丘陵を利用した平山城。

主郭は東曲輪と西曲輪からなり、中間に小さな腰曲輪を緩衝地として設けた連郭式の縄張り。
城域全体を2重の空堀と土塁で囲んで防御力を高めた、北条家特有の城郭。

また、南側の丘陵に外曲輪(出城)があった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城域は小机城址市民の森として整備されており、西曲輪は本丸、東曲輪は二の丸と呼ばれて、櫓台跡、土橋、空堀などの遺構も良く残っている。

西曲輪の西側の空堀や搦手坂は第三京浜道路が貫き破壊されている。
第三京浜の西側に残された丘陵は富士仙元と呼ばれ、富士塚がある。
略歴
1438年頃 関東管領山内上杉家が築城
(中略)
1478年 長尾景春の乱に乗じて挙兵した豊嶋泰経が、城主の成田家に庇護を受け籠城するが、関東管領、上杉顕定の家宰太田道灌に攻められ落城
一旦廃城
(中略)
1516年 北条早雲、新井城の三浦道寸(義同)、三浦義意父子を攻め滅ぼし相模国を平定
1519年 北条早雲死没
その後、北条氏綱が、武蔵国進出の拠点である小机城を支配下とし、笠原信為を城主に
これ以降、武蔵国南部を支配する小机衆の拠点に
1524年 北条氏綱、上杉朝興の居城、武蔵国江戸城を攻略
1525年 北条氏綱武蔵国岩付城を攻略。これにより武蔵国南部を支配下に
1557年 城主、笠原信為死没
1560年 北条氏堯(北条氏綱の四男)が城主に
1562年 城主、北条氏堯、死没
1569年 北条三郎(上杉景虎)が城主に
北条三郎(上杉景虎)、相越同盟の証として、上杉政虎(謙信)の養子として越後国
1570年 北条三郎(上杉景虎)の弟、北条氏光が城主に
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めで落城。北条氏光は高野山へ追放される
廃城