守江湾に注ぐ八坂川河口の崖城
杵築城きつきじょう
場所 大分県杵築市杵築16付近
旧国郡名 豊後国 速見郡
別名 木付城、台山城、臥牛城、勝山城
種別 平山城
築城時期 1394年(応永元年)
築城背景 木付頼直が竹ノ尾城に替わる居城として築城
名城 私の500名城
主な城主 木付頼直、木付統直、前田玄以宮部継潤、杉原長房、松井康之(城代)、有吉立行(城代)、小笠原忠知、松平英親など
天守 有(詳細不明)
主な遺構 石垣、堀
主な再建物 模擬天守(独立式望楼型3重3階)、模擬壁、模擬門
交通 JR日豊本線 杵築駅 約6.3km
駐車場 城山公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜歩2分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩2分

模擬天守

模擬天守

入口の模擬門と模擬塀

遠景
構成 豊後国国東半島の南部、守江湾に注ぐ八坂川と高山川に挟まれた台山に築かれた平山城。

東が守江湾、南が八坂川、北が高山川で、本丸のある山城部と北西麓の居館部から構成されていた。
山城部は大きく4つの曲輪を堀切で隔て、東端の本丸の天守台には天守があげられたが詳細は不明。

居館部は水堀や高山川、海に囲まれ、御殿場、御馬屋、西御殿などに区画されていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 山城部は城山公園となっており、本丸天守台には3重3階の望楼型模擬天守が建てられ、内部は資料館となっている。

本丸すぐそばまで車で登って行ける。

居館部は杵築神社、杵築中学校などとなっており、石垣や水堀が残る。
略歴
1394年 木付頼直が竹ノ尾城に替わる居城として築城
(中略)
1587年 戸次川の戦で大友家に勝利した島津家の大軍に攻められるが、城主、木付鎮直は2か月間籠城
豊臣秀吉九州攻めが始まると島津勢が撤退を開始、これを受けて城から討って出た城主、木付鎮直とその子の木付統直が島津勢に大勝、これにより勝山城と呼ばれるように
1593年 文禄の役では木付統直は、子の木付直清とともに参陣するが、直清が鳳山の戦で戦死
主家、大友家が敵前逃亡の罪により改易となると、木付統直は自害
  子、孫を失った木付鎮直も自害。これにより木付家は滅亡
1595年 秀吉の家臣、前田玄以が城主に
前田玄以丹波国亀山(5万石)へ転封
  宮部継潤が城主に
1596年 宮部継潤が隠居
  杉原長房が城主に
1598年 杉原長房が但馬国城崎(豊岡)へ転封
1599年 丹後国宮津12万石に加え杵築6万石を加増された細川忠興の所領となり、家臣の松井康之と有吉立行が城代に
  (後略)