柴田勝家とお市の方が最後を遂げた九層の天守
北ノ庄城きたのしょうじょう
場所 福井県福井市中央1-21-17
旧国郡名 越前国 足羽郡
別名  
種別 平城
築城時期 1575年(天正3年)
築城背景 織田信長から越前国49万石を拝領した柴田勝家が、居城とすべく築城。
名城  
主な城主 柴田勝家丹羽長秀堀秀政、青木一矩
天守 9階天守(非現存)
主な遺構 石垣の根石
主な再建物  
交通 JR北陸本線 福井駅 徒歩約3分
駐車場 城域西側にある有料駐車場など
徒歩・登山 駐車場〜徒歩2分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩2分

町の中にある北ノ庄城跡

お市の方像

発掘された石垣根石の遺構

ミニチュア天守と柴田勝家像
構成 越前国やや北部の越前平野を流れる足羽川と吉野川の合流地点の平地に築かれた平城。

朝倉氏の本拠(一乗谷館)からは北西に約15kmの場所。

ふたつの川に挟まれた本丸には、9階建ての壮大な天守が築かれたといわれる。

本丸の北側一帯に、二の丸を初めとするいくつかの曲輪が広がる、広大な縄張りだったと推定されている。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城域はほとんどが市街化されているが、本丸と推定される場所に、柴田神社と北ノ庄城址公園があって、石垣の根石が発掘され展示されている。

また、5.7mの高さの天守模型や柴田勝家の銅像なども展示されている。(平成23年8月〜2年間限定)
略歴
1575年 織田信長から越前国49万石を拝領した柴田勝家が築城
1582年 本能寺の変
1583年 賤ヶ岳の戦で、城主柴田勝家羽柴(豊臣)秀吉に敗北、その後秀吉勢から城攻めを受け落城、柴田勝家と妻のお市の方が自害
その後、羽柴(豊臣)秀吉の臣下についていた丹羽長秀が城主に
1585年 丹羽長秀の死没により、家督を相続した丹羽長重が城主に
その後丹羽長重が失脚し、堀秀政が城主に。(18万石)
1590年 堀秀政小田原城攻めの陣中で死没。この堀秀治が家督を相続し城主に
1598年 堀秀治が越後国春日山へ加増の上転封となる
代わって、青木一矩が城主に
1600年 関ヶ原の戦
戦後、越前国67万石を拝領した結城秀康が福井城を築城し居城としたため、廃城に