守護、小笠原家の南の支城
北熊井城きたくまいじょう
場所 長野県塩尻市片丘9548付近
旧国郡名 信濃国 筑摩郡
別名  
種別 平山城
築城時期 不明
築城背景 信濃国守護、小笠原家の家臣、村井家が築城(推定)
戦国時代に武田(晴信)信玄の支配下となってから、大改修された(推定)
名城 私の500名城
主な城主 小笠原家、武田家
天守  
主な遺構 堀切、土塁
主な再建物  
交通 JR篠ノ井線 広丘駅 約4.3km
駐車場 なし
徒歩・登山 登城口〜登1分〜主郭
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登1分

主郭

大手門跡

主郭から大堀切越しに松本平を望む

主郭南の横堀(空堀) 
構成 筑摩郡の東端、東から伸びる舌状台地を利用して築かれた平山城。

南と東に土塁を掻き上げた主郭は東西80m、南北70mの方形で、二重の堀切を隔てた東にやはり方形の曲輪を3つ並べた。

主郭の西は深さ20mほどの大堀切を隔てて、3つの曲輪を並べた連郭式の縄張り。

北側は20mの急崖となっていた。

信濃守護、小笠原家の南端の支城として機能していたと推定される。
縄張図
または
現地
案内図
現状 曲輪は草地、雑木林、畑地などとなっており、整備状態は良いとは言えないが、各曲輪を東西に隔てる堀切や、主郭南麓の横堀などがしっかりと残されており、なかなかの迫力。

主郭の西の大堀切は農道となっているが、現在でも比高17mはあり圧巻。

西端には馬場跡も残る。
略歴
(前略)
1532年 武田信虎が隣国、甲斐国を平定
1534年 守護、小笠原長棟が小笠原一族を統一
小笠原長棟、林城を居城に
1541年 小笠原長棟が隠居、守護職を継いだ嫡男小笠原長時が当主
甲斐国にて、武田信虎、嫡男の武田(晴信)信玄により追放される
1542年 甲斐国武田(晴信)信玄信濃国諏訪への侵攻を開始
1545年 武田(晴信)信玄の侵攻を受け降伏、開城。武田家の支配下に
1548年 上田原の戦武田(晴信)信玄が大敗。これを受け小笠原長時は諏訪西方衆を糾合し武田勢に敵対、塩尻峠で戦うが大敗(塩尻峠の戦
武田(晴信)信玄林城攻めの拠点として村井城を築城
1550年 武田(晴信)信玄に攻められ、小笠原長時林城から退去
1552年 武田(晴信)信玄が、北熊井城の改修を開始、北信侵出の拠点に
  (後略)