内川の河岸段丘の塩谷家の本拠
川崎城かわさきじょう
場所 栃木県矢板市館ノ川323
旧国郡名 下野国 塩谷郡
別名 塩谷城(しおのや)、蝸牛城
種別 山城
築城時期 1200年頃(正治2年頃)
築城背景 宇都宮家から入って塩谷家を継いだ塩谷朝業が築城し、御前原城から居城を移した
名城 私の500名城
主な城主 塩谷朝業、塩谷教綱、塩谷孝綱、塩谷由綱
天守  
主な遺構 土塁、空堀
主な再建物  
交通 JR東北本線 矢板駅 徒歩約35分
駐車場 専用の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る2分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登2分

川崎城

本丸と南曲輪を隔てる一ノ堀

本丸の切岸と東出丸

本丸から見下ろす二ノ堀と二の丸 

二ノ堀

南曲輪と竪堀へ向かう一ノ堀
構成 下野国中央やや北部、内川の河岸段丘を利用した山城(崖城)。

城域は南北に長く、約1200m、東西約340m。

南北約160mの三日月型をした本丸と、東を流れる内川の支流、宮川からの比高は47mで急崖となっている。西側に土塁を設けた。

本丸の西に二の丸を、その北に三の丸を、本丸の南に南曲輪を配し、それぞれを空堀で隔てた。
また、本丸の段下には出丸(東出丸)をを置いた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 川崎城址公園として整備されており、多くの空堀が良好な形で残されているほか、本丸の土塁も残されている。

そして、蝸牛状(渦巻状)に配された曲輪による縄張りは、とても見ごたえがある。

城のすぐ西を南北に東北自動車道が走っている。
略歴
1200年頃 塩谷朝業が築城し、御前原城から居城を移す
(中略)
1559年 下総国の結城晴朝に包囲されるが守りきる
1564年 城主、塩谷義孝、弟の孝信の謀反により川崎城に攻め入られ討ち死に
1566年 塩谷義孝の子、弥六郎(塩谷義綱)が宇都宮家の支援を受け塩谷孝信を攻め、川崎城を奪回
  弥六郎の庶兄、塩谷義通が家督を相続(推定)
1574年 塩谷義綱が家督し、城主に
1585年 那須資晴の侵攻を受け、宇都宮国綱の援軍を得て薄葉ヶ原で戦うが敗北(薄葉ヶ原の戦)
  塩谷義綱、上洛し豊臣秀吉に謁見、所領を安堵される
1595年 豊臣秀吉により改易を命じられた塩谷義綱が退城(改易の理由は不明)
1597年 廃城