郡内地方を扼した小山田家の詰城
勝山城かつやまじょう
場所 山梨県都留市川棚812(付近)
旧国郡名 甲斐国 都留郡
別名  
種別 山城
築城時期 1532年頃(天文元年頃)
築城背景 甲斐国郡内の国人、小山田信有が谷村に築いた館(谷村城)の詰の城として築城
名城 私の500名城
主な城主 小山田信有(越中守)、小山田信有(出羽守)、小山田信有(弥三郎)、小山田信茂鳥居元忠、三輪近家、加藤光吉、浅野氏重(城代)、鳥居成次(城代)、本堂茂親(城代)
天守 なし
主な遺構 空堀、竪堀
主な再建物  
交通 富士急行大月線 谷村駅 徒歩約20分
駐車場 山麓、南西にある無料駐車スペース
徒歩・登山 駐車スペース〜登る15分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登15分

本丸跡に建つ東照宮

川棚見張り台から望む
谷村(都留)市街

城域の西側を守る内堀(空堀)

城域南を流れる桂川
構成 甲斐国東部、郡内地方の谷村を見下ろす、標高571mの城山に築かれた山城。

山頂部の本丸、一段下の二の丸、さらにその下の三の丸を階段状に並べた梯郭式の縄張り。

それら主郭の北と南と東には見張り台を設け、西には内掘(空堀)を長く掘り防備の要とした。

また、城域南には山中湖などを水源とする桂川が流れ、天然の外堀となっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡となっており、城域南、川棚地区にある駐車スペースから軽いハイキング感覚で登っていける。
本丸には東照宮が建てられている。
遺構としては内堀、竪堀などがある。
略歴
1532年頃 中津森館を焼かれた小山田信有(越中守)が、谷村に新館を築いた際、その詰城として築城
1541年 小山田信有(越中守)が死没
子の小山田信有(出羽守)が家督を相続
1552年 小山田信有(出羽守)が死没
子の小山田信有(弥三郎)が家督を相続
1565年 小山田信有(弥三郎)が病没
弟の小山田信茂が家督を相続
1572年 小山田信茂信玄の上洛戦に従軍
三方ヶ原の戦
1573年 武田信玄病没
1575年 長篠の戦で武田家が大敗
1582年 小山田信茂織田信長の侵攻(天目山の戦)を受け、武田勝頼を裏切るが、戦後、主君を見限ったことを織田信長から咎められ、甲斐国善光寺で処刑される
本能寺の変
天正壬午の乱を経て、徳川家康の家臣、鳥居元忠が城主に
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めを経て、甲斐国信濃国を与えられた豊臣秀勝の家臣、三輪近家が城主に
1591年 豊臣秀勝美濃国岐阜へ転封
甲斐国府中24万石を与えられた加藤光泰の養子、加藤光吉が城主に
1593年 加藤光泰、急死、子の作十郎が家督を相続
1594年 加藤作十郎、美濃国黒野へ転封
甲斐国府中21万5千石を与えられた浅野長政浅野幸長父子の家臣、浅野氏重が城代に
1600年 関ヶ原の戦後、浅野家が紀伊国和歌山に転封
甲斐国は徳川家の直轄となり、鳥居成次が城代として城を預かる
1615年 将軍家の次男、徳川忠長が甲斐国甲府藩主となり、鳥居成次はその付け家老として郡内地方を支配
1631年 徳川忠長が、不行跡を理由に蟄居を命じられたことから、甲斐国は天領に
その後、幕臣、本堂茂親が城代に
(後略)