武田家の庶流、勝沼家の居館
勝沼氏館かつぬましやかた
場所 山梨県甲州市勝沼町勝沼2501(付近)
旧国郡名 甲斐国 山梨郡
別名  
種別 平城
築城時期 1400年代頃?
築城背景 築城時の詳細は不明。その後武田信虎の弟、信友が居住し勝沼家を称した
名城 私の500名城
主な城主 武田(勝沼)信友、勝沼信元
天守 なし
主な遺構 空堀、土塁
主な再建物 木橋
交通 JR中央本線 勝沼ぶどう郷駅 徒歩約27分
駐車場 上行寺そばの無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩5分〜館跡
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩5分

北門跡

土塁

内堀にかかる木橋(模擬)と
石垣(再建?)

常の御座所跡
 
構成 甲斐国の甲府盆地東端に築かれた平城(館)。

南側を流れる日川(笛吹川の支流)が削った段丘上に位置し、防備しにくい主郭の北と東側は土塁が掻き揚げられその外に空堀が掘られた。

主郭の北西に正門(北門)を、南東に裏門(南門)が開かれ、南西隅には太鼓櫓が築かれていたという。

主郭東には外郭が広がっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 国の史跡として整備されており、主郭内部の御座所跡、台所、くつろぎ処などの場所が明示されている。

内堀には木橋(模擬)が架けられ、橋げたを支える部分には石垣も見えるが、遺構かどうかは不明。
略歴
1400年代 築城
1510年頃 武田信虎の弟、武田信友が移り住み、勝沼氏を称す
1535年 武田信友、北条氏綱との戦(山中湖畔)で討ち死に
信友の子、勝沼信元が城主に
1542年 武田晴信(信玄)の諏訪攻めに従軍
1560年 勝沼信元が長尾景虎(上杉謙信)の調略を受け武田家からの離反を企てたことが発覚、飯富(山県)昌景に誅殺される
これにより勝沼家は断絶、廃城