島津家の攻勢を受け続けた阿蘇家の最前線
堅志田城かたしだじょう
場所 熊本県下益城郡美里町中郡(登城口)
旧国郡名 肥後国 益城郡
別名 勢多尾城、赤蜂尾城
種別 山城
築城時期 ????年(????年)
築城背景 不明
名城 私の500名城
主な城主 阿蘇惟前、阿蘇家
天守 なし
主な遺構 堀切、土橋、竪堀
主な再建物 建物柱
交通 JR鹿児島本線 松橋駅 約14.1km
駐車場 無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登1分

1郭と櫓台

1-2郭

堀切と2郭

1-2郭

1-2郭
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構成 肥後国中部、甲佐郡南部にある標高256mの山を利用して築かれた山城。

西から北東へ向かう400mほどの主軸尾根と、その南を東西に走る300mほどの南尾根、さらに、それらから派生するいくつかの尾根に11の曲輪を配し、堀切や畝堀を15ヶ所に設けた縄張り。
縄張図
または
現地
案内図
現状 国史跡に指定され整備されている。

県道105号線にある看板から林道に入り、1郭の下の帯郭まで直接行くことができる。

1郭などに建物柱の跡が復元されているほか、いくつかの郭には逆茂木を使用した柵を巡らせるなど、中世山城の雰囲気を堪能できる。

2016年4月の熊本地震により多くの切岸や郭の崖が崩落してしまい、立入禁止となっている郭も少なくない。(2017年9月現在)
略歴
  (前略)
1523年 阿蘇神社大宮司職を阿蘇惟豊に奪われ八代に逃れていた阿蘇惟前が、阿蘇家南の最前線である堅志田城を攻め落とし、居城に
1543年 阿蘇惟豊に攻められ、堅志田城は落城、再び大宮司家の支配下となり、阿蘇家の内紛が平定される
1559年 阿蘇惟豊が死没、子の阿蘇惟将が家督を相続
1581年 八代を支配下に置いた島津家や、従属した相良義陽の侵攻を受け始める
1583年 島津家が、対の城である花の山城を築城
1584年 阿蘇家と島津家の抗争が本格化(阿蘇合戦) 
1585年 島津家に攻略される
1587年 豊臣秀吉九州攻めが始まり、島津家が肥後国から撤退 
これにより廃城