家康の生母、於大の方の実家
刈谷城かりやじょう
場所 愛知県刈谷市城町2
旧国郡名 三河国 碧海郡
別名 亀城
種別 平山城
築城時期 1533年(天文2年)
築城背景 尾張国知多から侵出してきた水野忠政が居城とすべく築城。
名城  
主な城主 水野忠政水野信元佐久間信盛、水野忠重、水野勝成、水野忠清、深溝松平家、久松松平家、稲垣家、阿部家、本多家、三浦家、土井家
天守 なし
主な遺構
主な再建物  
交通 名鉄三河線 刈谷市駅 徒歩約18分
駐車場 亀城公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

刈谷城の本丸跡

本丸東側の堀跡(現在は池)
構成 三河国最西部、三河湾が内陸奥深くへ入り込んだ入江、衣ヶ浦に突き出した台地に築かれた平山城。

海の東側の台地に本丸を置き、北、東、南に堀を穿ち、その外側に二の丸を廻らせ、二の丸の東側に三の丸を配した、連郭式の縄張り。
縄張図
または
現地
案内図
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現状 衣ヶ浦は江戸時代から干拓が進み、現在の刈谷付近は海ではなく境川、逢妻川などとなっている。

本丸は亀城公園として整備されており、遺構は東側の堀が拡張されて公園の池として残っている程度。

二の丸は亀城小学校などとなっている。
略歴
1533年 三河国へ侵出してきた水野忠政が築城
1535年 この頃、尾張国織田信秀三河国に進出してくる
1541年 城主、水野忠政の娘、於大(於大の方)、駿河国今川家に誼を通じる松平広忠岡崎城主)に嫁ぐ。これにより水野家は今川家に属す
1542年 三河国第一次小豆坂の戦で、織田信秀が今川・松平連合軍に勝利
1543年 於大の方岡崎城竹千代(徳川家康)を出産
水野忠政が死没。子の水野信元が城主に
その後、水野信元は今川家から離反し、尾張国織田信秀方に属す
1551年 織田信秀が死没。子の織田信長が織田氏を継ぐ
1560年 桶狭間の戦で、同盟者の織田信長今川義元を討つが、敗走する今川軍の岡部元信により刈谷城を焼かれ、信元の弟、水野信近が討死に
1562年 水野信元織田信長松平元康(徳川家康)の清洲同盟の仲介役を務める
1576年 水野信元、武田家への内通の疑いをかけられ、織田信長の命を受けた徳川家康の家臣、平岩親吉によって三河国大樹寺で殺害される
信長の重臣、佐久間信盛の支配下に
1580年 佐久間信盛織田信長から追放される
水野忠重(信元の子)が城主に
1582年 本能寺の変。水野忠重は織田信忠とともに二条城に入ったが脱出に成功
1584年 水野忠重、小牧・長久手の戦では織田信雄に従う
1590年 水野忠重、織田信雄の失脚に伴い、伊勢国神戸へ転封される
水野忠重、再び刈谷に戻る。(2万石)
1600年 関ヶ原の戦の際、水野忠重は東軍につく
水野忠重、池鯉鮒にて暗殺される
子の水野勝成が城主に。(初代刈谷藩主)
1615年 水野勝成、大和国郡山(6万石)に転封。大和郡山城主に
弟の水野忠清が、上野国小幡(1万石)から移り城主に。(2万石)
(後略)