佐野家が本拠とした関東七名城のひとつ
唐沢山城からさわやまじょう
場所 栃木県佐野市富士町1409付近
旧国郡名 下野国 足利郡
別名 栃本城、根古屋城、牛ヶ城
種別 山城
築城時期 927年(延長5年)
築城背景 下野国押領使となった藤原秀郷が築城。(異説あり)
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 佐野昌綱、佐野房綱、佐野信吉
天守 なし
主な遺構 高石垣、土塁、堀切
主な再建物  
交通 東武佐野線 田沼駅 徒歩約40分
駐車場 城山公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜7分登る〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登7分

本丸跡の唐沢山神社

高石垣

城址からの眺望
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構成 下野国南部の標高240mの唐沢山を中心に築かれた山城で、周囲が急峻な崖のため、かなりの要害であった。

縄張りは、山頂部の本丸を中心に、西に向かって二の丸、三の丸、帯曲輪と配した連郭式である。
また、本丸の南東部には南城を置き、本丸の北から北東部一帯にも多くの曲輪を配した。
各曲輪は掘切や土塁で区切られており、関東の古城には珍しく高石垣も多用された。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城山公園となっており、本丸跡は唐沢神社となっている。
神橋そばの駐車場から、それほどの苦もなく廻ることができる。
略歴
927年 藤原秀郷が築城。(異説あり)
その後、藤原秀郷が天慶の乱の鎮圧に成功し、鎮守府将軍を拝命。
(中略)
1180年 藤原秀郷の子孫、佐野成俊が廃城となっていた唐沢山城を再築城。(異説あり)
(中略)
1491年 城主、佐野盛綱が大修築。
(中略)
1559年 城主、佐野昌綱長尾景虎(上杉謙信)についたことから、北条氏政の率いる3万5千の大軍に攻められるが、長尾景虎(上杉謙信)の援軍により守り切る。
1574年 佐野昌綱が死没し、子の佐野宗綱が城主に。
その後、上杉謙信との関係が悪化し北条家と結んだため、謙信から9度も攻められるが守り切る。
1581年 城主、佐野宗綱が北条家から離反し佐竹家と結んだため、滝山城主の北条(大内)氏照から攻められるが守り切る。
1583年 城主、佐野宗綱が戦死。
1587年 佐野家は北条家と結び、北条氏政の弟、北条氏忠を養子に迎え、佐野家を相続させる。
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めの際、佐野宗綱の弟で、北条家と結んだ事を不服として出奔していた佐野房綱が、豊臣秀吉の力添えにより唐沢山城内の北条勢の掃討に成功。
戦後は佐野房綱が、そのまま佐野家を相続。
1600年 関ヶ原の戦
1601年 城主、佐野房綱が死没。
養子の佐野信吉(富田一白の五男)が城主に。
1602年 佐野信吉が南東2里ほどの平地に佐野城を築き居城にしたため、廃城。