7万5千石を領した森可成の居城
金山城かねやまじょう
場所 岐阜県可児市兼山1023
旧国郡名 美濃国 可児郡
別名 鳥ヶ峰城、兼山城
種別 山城
築城時期 1537年(天文6年)
築城背景 斎藤道三の猶子、斎藤大納言正義が、東美濃平定の拠点として築城(推定)
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 斎藤正義、森可成森長可森蘭丸、石川家
天守 あり(非現存・3重天守+付櫓?)
主な遺構 石垣、土塁、堀切
主な再建物  
交通 名鉄広見線 明智駅 徒歩約50分
駐車場 出丸跡の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る7分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登7分

麓の模擬冠木門から望む金山城 

大手門の桝形

天守台の西南隅石

主郭そばから望む出丸
構成 美濃国東部、兼山(金山)の町、木曽川が麓を流れる標高280mの山(通称古城山)に築かれた山城。

全体的に石垣が多用されており、山頂部の主郭には、天守台のある本丸、二の丸、三の丸を梯郭状に配した。
天守台には2層の入母屋に望楼を載せた天守があったとされ、東南面の段下の付櫓を接続させていた。

また、西側の中腹には出丸が置かれた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 出丸まで車で行けるが、夜間や早朝は通行止めとなっており、その時間の見学では中腹の第二駐車場などを利用することになる。

天守台や出丸の石垣などが遺構として残っている。
略歴
1537年 斎藤道三の猶子、斎藤正義が築城
1548年 城主、斎藤正義、久々利城主の久々利頼興に謀殺され、城も攻められ落城(斎藤道三黒幕説あり)
1567年 織田信長斎藤義興稲葉山城(のちの岐阜城)を攻略
信長の家臣、森可成が城主に(7万5千石)
1568年 森可成信長の上洛戦に従軍
1570年 森可成姉川の戦に参陣
森可成宇佐山の戦で討ち死に
子の森長可が城主に
1575年 森長可長篠の戦に参陣
1582年 森長可、武田攻め(天目山の戦など)で大将、織田信忠の先鋒を務める
森長可信濃国4郡(更級、高井、水内、埴科)を拝領し海津城主に(20万石)
長可の弟、森蘭丸が城主に(5万石)
本能寺の変で、3人の弟(森蘭丸森坊丸森力丸)が戦死
森長可信濃国で一揆が起こったことから金山に帰還
1584年 森長可小牧・長久手の戦で戦死
弟の森忠政が城主に
1590年 森忠政、小田原城攻めに参陣
1600年 関ヶ原の戦
森忠政、信濃国川中島(13万7千石)へ転封、海津城主に
犬山城主、石川光吉の支配下に
その後、廃城