信長が浅井の裏切りを知った
金ヶ崎城かねがさきじょう
場所 福井県敦賀市金ヶ崎1-4付近(登城口)
旧国郡名 越前国 敦賀郡
別名  
種別 山城
築城時期 1170年頃(嘉応2年頃)
築城背景 平安時代後期、源平争乱の頃、平通盛が木曽義仲との戦のために築城。
名城 私の500名城
主な城主 平通盛、新田義貞、朝倉景恒(城代?)
天守 なし
主な遺構 空堀、堀切
主な再建物  
交通 JR北陸本線 敦賀駅 徒歩約30分
駐車場 金ヶ崎宮そばの無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る15分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登15分

金ヶ崎城

小さな尾根を利用した三の木戸

最高地点、海抜85mの月見御殿から見る
敦賀湾と敦賀半島
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構成 越前国南西部、若狭から越前に入る塩津街道をふさぐように築かれた山城。
城地は標高86mの小山全体であり、往時は三方を海に囲まれていた。

北側の断崖の上部が海抜85mの最高地点で、月見御殿跡となっているが、ここが本丸跡といわれる。
東の手筒山城へ向かう尾根には、3つの城戸(木戸)が配され、防備を固める拠点となっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡として保存されており、曲輪や木戸を1時間足らずで廻ることができる。
手筒山城までめぐるのであれば、合計3時間は必要。

南北朝時代に足利尊氏追討を命じられた後醍醐天皇の第二王子、尊良親王が、足利勢に攻囲され自害を遂げたといわれる曲輪と墓所、親王を祀った金ヶ崎宮なども存在する。
略歴
1170年頃 平通盛が築城
(中略)
1336年 足利尊氏に京都を追われた、後醍醐天皇の王子、恒良親王と尊良親王が、新田義貞とともに越前に下向し入城
1337年 越前国守護、斯波高経の兵糧攻めにより落城、尊良親王や新田義顕は自害、恒良親王は捕らえられる
(中略)
1503年 朝倉宗滴が城主に
1555年 朝倉宗滴死没
1570年 越前国の朝倉攻めに押し寄せた織田信長に落とされるが、その後近江国北部の浅井長政が信長を裏切り、信長勢は退却。(金ヶ崎の退き口