信長が三男、信孝を養子に入れた
神戸城かんべじょう
場所 三重県鈴鹿市神戸5
旧国郡名 伊勢国 川曲郡
別名  
種別 平城
築城時期 1550年(天文19年)
築城背景 北伊勢の名族、神戸具盛(下総守)が築城
名城 私の500名城
主な城主 神戸具盛(下総守)、神戸長盛、神戸利盛、神戸具盛織田(神戸)信孝、小島兵部、生駒親正、水野忠重、滝川雄利、一柳直盛、石川家、本多家
天守 5重天守(非現存)
主な遺構 天守台、石垣、堀
主な再建物  
交通 近鉄鈴鹿線 鈴鹿市駅 徒歩約12分
駐車場 神戸公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

天守台

本丸の堀
構成 伊勢国北部、鈴鹿川の南側の平地に築かれた平城。

本丸の北東部分には5重天守があげられ、本丸の北に千畳敷と呼ばれた曲輪を置き、その東に広い二の丸を隣接させた。
二の丸の北東隅には二重櫓が、東南隅には太古櫓があげられた。

これらの主郭の周囲には水堀をめぐらせ、その東側を防御するように三の丸を配し、北側に大手が開かれた。
大手門の東には一重櫓が建てられた。

主郭の南には馬場、主郭の西側にも広い曲輪を置き、ここに西大手門が開かれた。

これらの曲輪の周囲にも水堀がめぐり、その外側には武家屋敷などが広がっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸は神戸公園となっており、野面積みの石垣や天守台のほか、堀の一部も残っている。二の丸は神戸高校、三の丸や馬場などの曲輪は市街化されている。

大手門は市内の顕正寺に、太鼓櫓は蓮華寺に移築され残っている。
略歴
1550年頃 神戸具盛(下総守)が築城し、それまでの居城、沢城から移る
1551年 神戸具盛(下総守)が死没、子の神戸長盛が家督を相続し城主に
1552年 神戸長盛が死没、子の神戸利盛が家督を相続し城主に
1559年 神戸利盛が急死、弟で仏門に入っていた神戸具盛が還俗して家督を相続、城主に
その後、神戸具盛は国司の畠山氏から離反し、近江国の蒲生家と縁戚関係を結び、六角家につく
1567年 織田信長の北伊勢侵略が始まる
1568年 4万の軍勢で再び侵攻してきた織田信長に、神戸具盛が降伏。信長の重臣滝川一益の支配下に
信長の三男、三七丸織田(神戸)信孝を養子に迎える
神戸具盛織田信長の六角攻めに従軍し、義兄の蒲生賢秀の攻略に成功
1571年 神戸具盛、信孝への冷遇の罪により近江国日野城に幽閉される
織田(神戸)信孝が家督を相続し、城主に
1580年 5重天守が完成
1582年 本能寺の変
清洲会議の結果、織田(神戸)信孝美濃国岐阜城主に
替わって小島兵部が城主に
1583年 小島兵部、織田(神戸)信孝滝川一益とともに柴田勝家に味方し、羽柴(豊臣)秀吉と対立するが敗戦し切腹
1586年 生駒親正が城主に(4万1千石)
生駒親正播磨国赤穂へ転封
1590年 水野忠重が城主に(4万石)
1595年 天守が桑名城に移築される
1598年 水野忠重、三河国刈谷城へ移る
1600年 関ヶ原の戦
一柳直盛が城主に(5万石)
(後略)