石垣をふんだんに用いた由良家の居城
金山城かなやまじょう
場所 群馬県太田市金山町40付近
旧国郡名 上野国 新田郡
別名  
種別 山城
築城時期 1469年(文明元年)
築城背景 堀越公方に味方し、岩松家を統一させた岩松(新田)家純が、家臣の横瀬国繁に命じて築城
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 新田岩松家、由良(横瀬)成繁、由良国繁、北条家
天守 なし
主な遺構 竪堀
主な再建物 石垣、曳橋、井戸
交通 東武伊勢崎線 太田駅 徒歩約45分
駐車場 西城外曲輪に無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩10分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩10分

馬場下通路の石垣(再建)

大手虎口の石垣

日の池(二の丸の下)

大手門横の竪堀にかかる曳橋(再建)
構成 上野国南東部、利根川左岸の平野部にポツンと盛り上がった金山(標高235m)に築かれた山城。

山塊の中央やや東寄りの尾根に本丸を置き、南西へ向う尾根に二の丸、三の丸、大堀切を隔てた馬場曲輪、さらには細長く続く物見台や矢倉台といった曲輪を階段状に配した梯郭式の縄張り。

山城ではあるが、大堀切そばに月の池、二の丸の下に日の池と呼ばれる、どちらも石垣造りのほぼ円形の池を配していた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 金山自然公園として整備・発掘され、石垣や池が見事に復元されている。
さらには堀切や各曲輪もよく保存されており、駐車場からは軽いハイキング感覚で廻ることができる。
略歴
1469年 岩松(新田)家純が築城
1495年 明応の乱が勃発したことから、家臣の横瀬泰繁が岩松家での実権を得る
1528年 岩松昌純が打倒横瀬家を画策するが事前に発覚し、逆に討たれる
その後、僧籍にあった岩松昌純の弟、萬字丸を還俗させ岩松氏純と名乗らせ城主に担ぎ出す
実質的な城主は、横瀬泰繁の子、横瀬(由良)成繁がつとめ、関東管領の上杉家に従い北条家と対立
1529年 城主、岩松氏純が自害。(1530年説あり)
横瀬(由良)成繁が名実ともに城主に
1546年 河越夜戦で上杉家が敗北すると、由良(横瀬)成繁は北条家に降る
1560年 北条家と対立した越後国長尾景虎(上杉謙信)が関東に進出してくると、長尾家に寝返る
1565年 城主横瀬(由良)成繁が、由良氏を名乗る
1566年 由良成繁が再び北条家に降る
1568年 北条家と長尾家の相越同盟成立の際、由良成繁が仲介役を務める
1571年 主君の北条氏康が死没
1573年 相越同盟が破棄されたことから、上杉謙信と敵対関係に
1574年 上杉謙信に五度も攻められるが守り抜く
1578年 由良成繁が隠居し、子の由良国繁が城主に
上杉謙信が急死し御館の乱が起こると、上杉景勝に味方した武田勝頼の傘下に入る
1582年 織田信長の武田攻め(天目山の戦)により、武田家滅亡
織田家家臣の滝川一益の支配下に
本能寺の変が起こると、北条家が滝川一益を攻め勝利(神流川の戦)したことから、北条家の配下に
1584年 北条家の計略(金山合戦)により、由良国繁は城を追われ、替わって北条家の家臣、清水正次が城代に
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めでは、前田利家らに攻められ5月2日に落城し、その後廃城