越後軍に対抗するために信玄が築いた
松代城まつしろじょう
場所 長野県長野市松代町松代44
旧国郡名 信濃国 埴科郡
別名 海津城、貝津城
種別 平城
築城時期 1560年(永禄3年)
築城背景 武田信玄越後国上杉謙信に対するために築城し、原虎胤を城代とした。
城の縄張りは、山本勘助が務めた。
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 原虎胤(城代)、高坂昌信(城代)、春日信達(城代)、森長可、村上景国、上条政繁、須田満親、田丸直昌、森忠政、松平忠輝真田信之
天守 不明
主な遺構 石垣、堀
主な再建物 城門、橋、土塁
交通 長野電鉄長野八代線 松代駅 徒歩約5分
駐車場 海津城址公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

二の丸南門(手前)と本丸太鼓門(奥)

北不明門

戌亥櫓跡の石垣
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構成 千曲川と犀川の合流部、川中島の南東、千曲川の東の平地に築かれた平城。

当時はもっと近い場所を流れていた千曲川を天然の外堀として、本丸、その三方を囲む内堀、その外側の二の丸、二の丸の三方を囲む堀、その外側に三日月堀をはさんで三の丸、その西側に花の丸を配した、輪郭式の縄張りだった。

本丸の四隅に、二階の隅櫓があった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 海津城址公園となっており、本丸を囲む石垣、堀、本丸と二の丸の間にあった太鼓門、北不明門、前橋、土塁などが再建されている。
本丸の戌亥櫓の石垣は往時のまま。
三の丸はほとんどが市街化されている。
略歴
1560年 武田信玄が築城し海津城と名付け、原虎胤を城代に
1561年 武田信玄の家臣、春日虎綱(高坂昌信)が城代に
第四次川中島の戦
城代春日虎綱(高坂昌信)、名族高坂家を相続
1578年 高坂昌信が病死、子の春日信達が城代に
1579年 高坂昌信駿河国三枚橋城へ移り、安倍宗貞が城代に
1582年 武田家滅亡により、織田家家臣、森長可が城主に
本能寺の変により、上杉景勝家臣、春日信達が城主に
1584年 上条政繁が城代に
1598年 上杉景勝の会津転封により、豊臣秀吉の支配下に
1600年 田丸直昌が城主に(4万石)
森忠政が城主に(川中島13万7千石)
松代城と改名
1603年 森忠政、美作国へ転封
徳川家康の六男、松平忠輝が城主となり、花井吉成が城代に
1617年 松平忠輝改易
(中略)
1622年 真田信之が城主に(松代10万石+沼田3万石)