関ヶ原から敗走した島津家の新居城
鹿児島城かごしまじょう
場所 鹿児島県鹿児島市城山7-2
旧国郡名 薩摩国 鹿児嶋郡
別名 鶴丸城、府城
種別 平山城
築城時期 1601年(慶長6年)
築城背景 関ヶ原の戦で西軍について敗北した島津義弘から家督を譲られた島津忠恒(家久)が、島津家の新居城として築城。
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 島津忠恒(家久)、島津光久
天守 なし
主な遺構 石垣、堀、石橋
主な再建物  
交通 鹿児島市電 市役所前駅 徒歩約11分
駐車場 黎明館の有料駐車場など
徒歩・登山 駐車場〜本丸まで徒歩2分
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩2分

大手門跡


北側の堀と石橋

背後にある詰の城
構成 錦江湾(鹿児島湾)を東に望む上山城の麓に築かれた平山城。

本丸と二の丸を水堀を隔てて並べて主郭とし、天守はあげられなかった。
館の形が鶴が羽を広げたようであったこともあり、鶴丸城と呼ばれた。

上山城は詰城とされた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸は、歴史資料館である黎明館と県立図書館となっており、周囲の堀や石垣、石橋などが遺構として残っている。

二の丸は市立美術館や県立博物館となっている。
略歴
1601年 島津忠恒(家久)が築城
1603年 島津忠恒(家久)、上洛し徳川家康に謝罪、本領の薩摩国大隈国日向国の一部、合計77万石を安堵される
1606年 島津忠恒、徳川家康から偏諱を受け家久と名乗る
1609年 島津忠恒(家久)、琉球国へ侵攻し従属させる
1613年 島津忠恒(家久)、奄美諸島を直轄下に
1638年 島津忠恒(家久)死没
子の島津光久が相続し、2代薩摩藩主に
(後略)