四万十川の上流、伊予最大級の中世山城
河後森城かごのもりじょう
場所 愛媛県北宇和郡松野町松丸165付近(登城口)
旧国郡名 伊予国、宇和郡
別名 川後森城
種別 山城
築城時期 ????年(????年)
築城背景  
名城 続日本100名城  私の500名城
主な城主 渡辺教忠、芝政景、戸田勝隆、藤堂高虎、桑折景頼
天守 あり(詳細不明)
主な遺構 石垣、堀切、土橋、土塁、空堀、井戸
主な再建物 模擬門、模擬木橋、復元建物、復元門
交通 JR予土線 松丸駅 徒歩約10分
駐車場 無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登5分〜本郭
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登5分

西第十曲輪の虎口の模擬門

西第十曲輪の復元建物

西第二曲輪と西第三曲輪の堀切

本郭虎口の石垣と土橋

古城の主郭

東第四曲輪と古城第二曲輪の堀切の
復元門
構成 伊予国南部、宇和島の東2.5里(約10km)の黒土郷にある丘陵を利用して築かれた、大きな山城。
四万十川の支流、広見川の上流に位置する。

北に位置する本郭を中心に馬蹄型に連なる尾根を平削し、いくつもの曲輪を並べた。

これらの曲輪に取り囲まれた南の谷は風呂ヶ谷と呼ばれ、そこから本郭へ続く道の脇にも多くの曲輪が配され、さらに風呂ヶ谷の東側の断崖上には新城と呼ばれる曲輪群があった。

本郭には内容は不詳だが天守が建てられていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 国史跡だけに各所に説明版が建てられるなど綺麗に整備され、中世山城の魅力に溢れる城跡公園となっている。

風呂ヶ谷に駐車場と大きな案内板があり、5分ほど登った先にある西第十曲輪には、模擬門や復元建物が建てられている。

西第十曲輪から本郭、さらにその東の古城や新城までは、高低差のあまりない尾根伝いの移動となる。新城部は比較的整備されておらず、案内板が建てられていない。

遺構としては、麓の空堀、井戸、堀切、土塁、石垣(本郭の虎口)などが残っている。
略歴
(前略)
1567年 土佐一条家から渡辺家へ養子入りしていた城主、渡辺教忠が、西園寺家の出兵命令に従わなかったことから攻められ降伏
1580年 長宗我部家に寝返った家臣、芝政景の謀略にあい、城主、渡辺教忠が追放される
1585年 羽柴(豊臣)秀吉四国攻め
1587年 大洲7万石を拝領した戸田勝隆の支配下となり、城主、芝政景は追放される
1594年 戸田勝隆が、陣中にて病死
1595年 宇和郡7万石を拝領した藤堂高虎の支配下となり、河後森城の天守が板島城(宇和島城)へ移築される(月見櫓)
1615年 宇和島城主となった伊達秀宗の付家老、桑折景頼が城主に(7千石)
一国一城令により廃城