島津四兄弟生誕の城
伊作亀丸城いざくかめまるじょう
場所 鹿児島県日置市吹上町中原3471付近
旧国郡名 薩摩国 阿多郡
別名 伊作城、亀丸城、石亀丸城、殿の城
種別 山城
築城時期 南北朝時代
築城背景 伊作荘・日置荘の地頭、島津久長が居城とすべく築城
名城 私の500名城
主な城主 島津久長、島津忠良(日新斎)
天守 なし
主な遺構 土塁、空堀、堀切
主な再建物  
交通 JR鹿児島本線 薩摩松元駅 約22km
駐車場 憩いの森(国際の森)の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

島津忠良(日新斎)生誕碑

本丸の虎口

本丸と蔵ノ城の間の堀切と木橋(模擬)
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構成 薩摩半島のほぼ中央、吹上の山間部にある標高72.5mの山に築かれた山城。

東西に伸びる尾根を平削し、山頂部に本丸(亀丸城)を置いた。
西にはお仮屋城、西ノ城、花見城などの曲輪が続き、本丸の東には、蔵ノ城、東ノ城などの曲輪が堀切を隔てて配された。

本丸(亀丸城)の南にある小山には山之城と呼ばれる曲輪が置かれた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城山憩いの森となっており、本丸(亀丸城)には島津忠良(日新斎)や島津四兄弟の誕生石、説明版などが建てられている。

本丸(亀丸城)と蔵ノ城の間の堀切には、木橋(模擬)が架かっている。
略歴
1305年頃 島津久長が築城
(中略)
1506年 島津忠良が城主に
1520年頃 島津薩州家の島津実久が本家乗っ取りを企てる
1526年 本家、島津忠兼の要請を受け、島津忠良が国政を司るとともに、嫡男の虎寿丸(島津貴久)を本家の養嗣子に据える
島津忠良、日新斎と号し隠居
島津実久が伊地知氏らを糾合し本家に対し反乱を起こすが、日新斎が平定
日新斎、実久方である一宇治城や日置城を攻めて攻略
島津実久が守護所である清水城を攻め、島津貴久に本家との養子縁組解消を迫るが、城からの脱出に成功し難を逃れ、亀ヶ城に入城
島津忠兼、島津実久に迫られ島津貴久との養子縁組を解消し、島津勝久と改名。これにより本家と伊作家が敵対関係に
日新斎、島津勝久の家臣が入っていた伊作亀丸城を攻め落とし入城
1533年 日新斎と島津貴久が、実久方となった桑波田栄景の南郷城を攻め落とす
日置城主の山田有親が、日新斎、島津貴久に降伏
1535年 島津忠兼、島津実久と不和となったことから鹿児島を攻められ、帖佐へ逃亡
1536年 日新斎と島津貴久一宇治城に居城を移す
(後略)