嗚呼壮烈の碑が残る高橋紹運の山城
岩屋城いわやじょう
場所 福岡県太宰府市観世音寺704付近
旧国郡名 筑前国 御笠郡
別名  
種別 山城
築城時期 1549年頃(天文18年頃)
築城背景 大友一族、一万田氏出身の高橋鑑種が、本城、宝満城の支城として築城
名城 私の500名城
主な城主 高橋鑑種高橋紹運(鎮種)、高橋統虎
天守 なし
主な遺構 土塁、堀切、竪堀、切岸
主な再建物  
交通 西鉄大宰府線 大宰府駅 約2.8km
駐車場 無料Pスペース(22番〜23番カーブ)
徒歩・登山 Pスペース〜本丸〜登1分
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登1分

嗚呼壮烈岩屋城址の碑

本丸

本丸の土塁

堀に架かる瓦坂の石橋
構成 筑前国中部、大宰府を南に見下ろす四天王寺山の支峰で、標高281m、比高230mの岩屋山に本丸を置く山城。すぐ北には大野城がある。

本丸の東に帯郭が置かれ、南の段下に二の丸、三の丸が置かれた。
さらに南麓まで続く尾根の周辺に数々の曲輪が配され、無数の堀切や竪堀で防御した。
縄張図
または
現地
案内図
現状 すぐそばの駐車スペース(1台分)から登る本丸には、昭和30年に子孫が建立した嗚呼壮烈岩屋城址の碑が残され、北側に土塁が残されている。

本丸からの眺望はよく、大宰府も見下ろせる。

高橋紹運や勇士の墓が残る二の丸をはじめとする曲輪や、畝状竪堀、堀切などの遺構もしっかり残されている。
略歴
1549年頃 大友氏の家臣、高橋鑑種が、本城、宝満城の支城として築城
1562年 高橋鑑種、大友氏から離反し、毛利氏に寝返る
1567年 大友義鎮(宗麟)の派遣した戸次鑑連(立花道雪)らの大軍に攻め落とされ、高橋鑑種は宝満城へ後退
1569年 立花城の戦で毛利氏が退却したことから宝満城も大友氏に降伏、開城
大友氏家臣、吉弘鑑理の二男、鎮種が宝満城主および岩屋城主となり高橋氏を継承(高橋紹運
1578年 日向国での耳川の戦で、大友宗麟島津義久に大敗
1586年 島津の九州平定を目指す島津氏や秋月種実ら2万の大軍に攻め落とされ、高橋紹運は700名ほどの城兵とともに奮戦するも力尽き自害。(岩屋城の戦
廃城