小牧長久手の戦の舞台にもなった
岩崎城いわさきじょう
場所 愛知県日進市岩崎町市場67
旧国郡名 尾張国 愛知郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1529年頃(享禄2年)
築城背景 清洲織田家(尾張国下四郡=の守護代・織田大和守家)の三奉行のひとりで、勝幡城主、織田信秀の支城として築城された
名城 私の500名城
主な城主 織田信秀、松平家、丹羽氏清、丹羽氏識、丹羽氏勝、丹羽氏次
天守 なし
主な遺構 空堀、井戸
主な再建物 模擬天守、模擬櫓門
交通 名鉄豊田線 日進駅 徒歩約40分
駐車場 岩崎城跡公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登1分

模擬天守と櫓門

岩崎城

井戸跡

本丸からの風景
構成 濃尾平野の東部、小さな丘陵に築かれた平山城。

丘陵の南端に本丸を置き、北側に空堀を隔てて二の丸、さらにその北東に東の丸、北西に西の丸を配した。

本丸の北西隅の最高部に櫓が建てられたほか、東南の張り出し部にも隅櫓が築かれた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 岩崎城跡公園として整備されており、本丸の南端に望楼型の模擬天守と櫓門が建てられている。本丸にあった井戸跡も発掘されており、本丸を取り囲む空堀は遊歩道となっている。
略歴
1529年頃 尾張国勝幡城主、織田信秀が支城として築城
家臣、荒川頼宗が城将に
三河国岡崎城主の松平清康に攻め取られる。(岩崎城の戦)
1535年 松平家の動乱(守山崩れ)により、松平勢が三河国へ撤退
本郷城主だった丹羽氏清が居城を岩崎城とする
1559年 城主、丹羽氏清が死没
子の丹羽氏識が城主に
1560年 桶狭間の戦後、岡崎城に戻ってきた松平元信(徳川家康)に従う
1562年 清洲同盟が締結されたことから、織田信長に従う
1565年 城主、丹羽氏識が死没
子の丹羽氏勝が城主に
1569年 丹羽氏勝、伊勢国北畠具教攻め(大河内城の戦)に従軍
1570年 丹羽氏勝、姉川の戦に従軍
1580年 城主、丹羽氏勝、織田信長に追放される
子の丹羽氏次が城主となり、織田信忠の家臣に
1582年 本能寺の変
丹羽氏次、織田信雄の家臣に
1583年 丹羽氏次、織田信雄の勘気を受けて徳川家康の家臣に
1584年 小牧・長久手の戦では、丹羽氏次は徳川家康に従軍
岩崎城は弟の丹羽氏重が守っていたが、三河国岡崎への中入りへ向かう池田恒興を挑発、足止めさせることに成功
1600年 関ヶ原の戦後、城主、丹羽氏次が三河国伊保に加増の上転封。(1万石)
これにより廃城